第1回東京ヌースレクチャー2013 vol.1 「創造空間の時代へ」

1コマ目後半 vol.1のレクチャーメニューと今後の予定

─── 目次 ───

  1. vol.1のレクチャーメニューと今後の予定
  2. 観察子という概念について
  3. 観察子のシステム
  4. 観察子を説明するための3つの思考装置

1. vol.1のレクチャーメニューと今後の予定

ということで、今日のレクチャーのメニューを紹介しておきます。一応、1時間ずつ、4コマに分けてきました。

2013レクチャーvol.1スケジュール

図1-4 NOOS LECTURE 2013 vol.1 レクチャーメニュー

今回の2013レクチャーシリーズは、一応全部で6回を予定しています。2ヶ月に1回の開催ですから、シリーズ終了までほぼ1年間かかりますね。ただ、ヌーソロジーの全貌はとてもこの6回だけで紹介しきれるものではありません。1回につき4時間話したとしても、6回で延べ24時間にしかなりませんよね。2009年に福岡で開催したレクチャーは、4時間を毎月1回、全12回で、延べ48時間の分量になりました。それでも説明しきれなかった。28年間コツコツやっているうちに、ヌーソロジーは、ほんと膨大な体系になってしまったんですよね。だから、全体像をどうコンパクトにお伝えするかというのが、今回のレクチャーシリーズでの僕の課題でもあるんですが、とりあえず、この1年間は基礎編という形で、6回シリーズでまとめてみようと思います。その後、応用編として、6回シリーズをまた1年間、合わせて全12回を2年間にわたって消化していく予定でいます。

さて、では、この基礎編でどういう話をしていくかについてですが、今日お配りしたお手元の資料を見て下さい。一応、ざっと6回分のプログラムを書き出してきました。

2013レクチャープログラム

図1-5 NOOS LECTURE 2013 ナビゲーション・プログラム

2 観察子という概念について

まぁ、いろいろと好き勝手に書いていますが、ご覧になっても分かるように、この2013シリーズでは、「次元観察子」という概念の解説がメインになってくると思います。ヌーソロジーを正確に理解していくためには、この「次元観察子」というヌーソロジー特有の概念の理解がどうしても不可欠なんですね。既刊のヌーソロジーの関連本を読まれたみなさんは、「観察子」という言葉の意味については、すでにご了解済みだと思うのですが、初めての方のために再度、簡単に説明しておきます————『シリウス革命』(1999年)では、この「観察子」について次のように書きました。ちょっと読んでみますね。

観察子

※『人類が神を見る日』の英語版では観察子を「paratiron」と訳した。paratiroというのは古代のギリシア語で「観察する」、「on」は粒子を意味し、精神と物質、双方の意味を併せ持つように造語した。

観察子と物質・精神

今、人間は、物質の世界と、それを見ている自分の心の世界を別のものとして分けていますよね。〈見られるもの ⁄ 見るもの〉、〈物質 ⁄ 精神〉、というように二つに分けている。観察子という概念がユニークなのは、物質と精神を同じコインの表と裏、つまり、同じものの二つの異なる側面として見てとれるような認識を人間の意識に作り出してくるところです。別の言い方をすると、観察子とは物質でもあり、また精神のことでもあるということなんですね。観察子の認識においては、もはや観察するものと観察されるものは分離していません。つまり、世界を主体と客体に分離させては見ない。世界は非分離状態なんです。そうした認識のもとに把握される対象は哲学の言葉でいうならば「イデア」と言えます。

イデア
プラトン哲学に端を発する哲学用語。肉眼では認識できない「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」のこと。イデアにおいては思考と思考対象は一致している。

「イデア」という言葉、みなさん、お聞きになったことがありますか?西洋哲学の伝統では、イデアにおいては思考と対象が一致すると言われています。つまり、思考することがそのまま対象になるということです。思考があって、それとは別に思考される対象があるのではなく、思考と対象が分かれていないということなんですね。ですから、この思考は人間が持った思考ではないですね。対象なき思考、脱-表象的思考、そういうものです。こういった思考が可能になるのは神の知性においてのみであり、このとき知性は創造の力として活動します。例えば、月を思考すると月が生まれ、太陽を思考すると太陽が出現する、そういった思考です。こういう思考を持った知性のことを古代ギリシアの哲学者たちは「神的知性」と呼びました。これが「ヌース」の本来の意味です。ヌースはイデアを思考する、ヌースにおける対象とはイデアだということ。まずは、このことをしっかりと頭に入れておいて下さい。

人間の知性というのは本来、受動的なものです。つまり、感性的に何か事物を受け取ってからしか思考できない。オギャーと生まれてきたときには世界はそこにすでにあります。原始人にしろ、意識が生まれてきたときには、すでに目の前に大自然が広がっていたことでしょう。世界は最初から贈与としてある。そして、人間はこの贈与されたものを受け取ったところから知性を働かせ始める。この大自然が、どこから来たかなんて誰も知らないし、自分という存在だってどこから来たか知らない。有名なゴーギャンの絵のタイトルにもありますよね。『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』。これは今も昔も変わることのない永遠の問い立てです。

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』ポール・ゴーギャン

図1-6 『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』ポール・ゴーギャン 1897年 - 1898年

だから、その受け取った自然に対して、人間は受動的に判断し、受動的に考え、受動的に理屈をこね回して、そのとき意識に起こっている働きをやれ悟性だの理性だのと呼んでいるだけです。人間の思考はその意味でつねに後手なんですね。感じることが先にあって、それから考える。ですから、人間の思考は世界の第一原因、つまり、どのようにしてこの世界が生まれたのか、という理由について決して知ることはできません。この出来事を引き起こした原因は一体何だ?と、過去にいくら遡っていったとしても、無限退行していくしかないんです。つまり、そこに現れるのは、どこまで行っても結果でしかない、ということです。因果律が示すような過去の方向にはこの宇宙を生み出した原因などといったものは存在していないんですよ。まずは、そう考えてみて下さい。

こうしたことは古代の思考者たちにとっては半ば常識だったと言っていいと思います。古代人というのは、ある意味では、現代人なんかよりもはるかに思慮深かった。現代の科学者たちはビッグバン理論なんかに代表されるように、宇宙の始まりの様子を一人の観照者の位置に立って、外部からイメージしようとします。NHKスペシャルなんかでよくやるでしょ。ビッグバンの瞬間の大爆発なんかを、あたかもその現場に居合わせたかのようにCGを使って可視化する。しかし、神は実験室の科学者なんかじゃありませんよ。外部注入的に力を加えて、はい、これが宇宙の始まりです、なんていう作り方はしません。こうした可視化のイマジネーションが何の意味も持っていないことに僕らはそろそろ気づかないとダメです。創造というのは時空の外部において為されるんです。時空の外部というのは精神の内部という意味ですよ。そして、精神の中で起こった創造活動を時空の中に物質として表現する。こうしたことが可能になる仕組み、システムとは一体どのようなものなのか——そういう問いの立て方をしなければ、まともな宇宙創成論にはなり得ない。要は、物質が作られたところとそれらが実際に物質として現象化しているところは全く違う場所だと考えなくてはならないということです。だから、古代アレキサンドリアの哲学者フィロンなんかは、一方に創造者の世界があって、一方に被造物の世界がある、というように、創造を二段階に分けて考えていました。イデアが活動する場所と物質が活動する場所です。この両者は全く別の場所です。そして、物質が活動する場所に創造を行った神の残影として、あたかも次なる創造の種子のようにして、人間の物質的身体が配置される。そういう考え方です。

そこから神はこの種子たる人間に言葉を与える。人間に主体を名乗らせ、名づける能力を与える。主体の「主(しゅ)」の字は「王」の上に「ゝ」(ちょん)の一者が乗っかりますね。この「主(しゅ)」の本来の意味は、「他のいかなる助けも借りることなく、それそのもので存在できるもの」という意味です。哲学者たちはこれを「実体」と呼びますが、そうした実体とは、本来、神しかいないんです。でも、神は創造の七日目に主体の座を人間に譲り渡した。もちろん、これは、あくまでも旧約の話ですが。そして、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言って、人間に祝福を与えた。私たちはその祝福に甘えて日曜日にドンチャン騒ぎをやってきたわけですよ。そしてハメを外しすぎたばっかりに創造された世界をボロボロにしてしまった。OCOT情報によれば、この創造の七日間はくり返します。だから、また月曜日がやってきます。神が起きてくる。月曜日に目覚めてくるこうした新しい神のことを古代のグノーシス者たちは「八日目の光」というふうに呼んでいました。もうすぐ八日目の曙光が指してくる。神さまがスーツを着て自分の仕事をするために出勤してきます(笑)。そしたら、日曜日が終わってしまうわけですから、人間はもう退散するしかない。「今」という時代はもうそういう時代へと変わりつつあります。

ちょっと話が横道に逸れちゃいましたが、この2013レクチャーでは、こうした創造空間をめぐるイメージを、この「次元観察子」という概念を用いて、詳しく解説していこうと思っています。その意味で言えば、次元観察子という概念は創造空間を探っていくにあたっての最もベーシックなイデアと言っていいものだと思います。イデアというのは、いわばわたしたちの内在性のなかに眠っている精神の力のようなものですから、あらゆる人の中にあります。イデアが備わっていない人間なんていません。いや、もっと言っちゃうと、イデアがなけりゃ人間は存在することはできません。多くの人たちがこの次元観察子の概念を相互了解し始めると、個々の主観が内的に結合している内なる空間世界が開いてくることになると思います。そして、その空間が外部に繰り広げられることによって生まれているのが物質宇宙なんだということが論理的に分かってくる。そうすると、内在と外在を巡って無窮の運動を展開している創造空間のビジョンが知性を通して明確に見え始めます。要は、ヌーソロジーは、この観察子という概念を通して創造空間のビジョンを確立させたいわけです。

神秘思想や神学の歴史をいくら調べても、神が創造にあたって、一体どういう空間を自らの懐のなかに抱いていたのか、そのイメージを具体的に記したものはありません。仏教にだって、プラトン哲学にだって、キリスト教にだってない。近代哲学はなおさらです。近代の哲学はカント以降、イデアを求める思考を理性の不正な使用として禁止したんですが、でも、実際にイデアが哲学の歴史の中で具体的に説明されたことなんて一度たりともありません。さきほどご紹介したドゥルーズなんかがこの新しいイデア論に果敢に挑戦してはいますが、まだまだ具体的にイメージできているわけではありません。

ヌーソロジーの思考を通して、観察子のイメージ形成を根気強く続けていくと、今までには感じたことのない新しい空間感覚と空間感情が意識の中に涌き上がってくるのが分かってきます。未知の大地が浮上してくるというか、とにかくそれは今までには想像すらできなかったような空間です。この空間のイメージを、例えば、ここにいるすべての人で共有し合うことができれば、ここはもう今までの世界とは全く違う場所になってきます。今、スピ系では高次元世界へのアセンションを口にする人たちが増えてきていますが、まさにその高次元のアクチャリティーが具体的に感覚の中に湧き上がってくると言いかえてもいいでしょう。その高次の空間のカタチを思考によって彫塑し、建築していく。それがヌーソロジーの作業です。今回のレクチャーシリーズでの観察子の解説はかなりイケてると思いますよ(笑)。アニメーションなども駆使して、分かりやすく説明して行く予定なので、みなさんにもそのビジョンが必ずや伝わっていくと思います。この空間ビジョンにハマるともう抜けられません。最高にエキサイティングですから。覚悟しておいて下さい。ほんと、ヌーソロジーは分かれば分かるほど面白くなってきます。僕もそうやって、ずるずると28年間もやっているわけですから。皆さんの中にも次々とヌーソロジー中毒者が出てくるでしょう。保証します。でも、保障はしませんよ(笑)

3. 観察子のシステム

さて、ここで観察子のシステムの概要について簡単に説明しておきましょう。資料の方を見て下さい。観察子の全体性というのは、次のようなシンプルな構成になっています。

観察子のシステム

図1-7 The System of Paratiron――観察子のシステム――(*側は省略)

観察子には次元観察子、大系観察子、脈性観察子というように三つの種類があります。それぞれ「ψ」(プサイ)、「Ω」(オメガ)、「Φ」(ファイ)という記号で表します。すべての観察子が双対7組、14個で構成されていて、他者側(ψ*、Ω*、Φ*というように「*」をつけて表します。「*」はスターと読みます)も含めるとそれぞれ「28」個で構成されます(この一覧表では『人類が神を見る日』や『シリウス革命』で紹介した空間観察子は割愛しています)。

次元観察子と大系観察子の意味については1999年に上梓した『シリウス革命』にも書いたのですが、現在のヌーソロジーでは、ここにあるように「脈性観察子」という新しい観察子がつけ加えられ、そのため、全体が当時よりも巨大な構成になっています。これらの観察子についての詳しい解説や、図表の左列に書いてある〈元止揚〉〈中性質〉〈調整質〉といったシリウス言語の説明はいずれ詳しくやっていきますので、ここではとりあえず次元観察子ψというものが持っている大まかな意味合いについて、ごく簡単に説明しておきますね。

図表1-4の方をもう一度、見て下さい。現在の人間の意識領域というのは、この図表でいうと、黒い破線の囲みで表された部分に対応しています。見て分かるように、ここでは青色で示された奇数系の次元観察子と赤色で示された偶数系の次元観察子の関係が、順序を逆転させられたかたちで配置させられているのがわかります。これは、人間の意識においては、観察子の正常な発展プロセスが奇数系と偶数系の関係においてひっくり返って働いているということを意味しています。一言でいうと、倒錯しているわけですね。本来、次元観察子というのは青の奇数系と赤の偶数系が互いにカップリングしてψ1-2、ψ3-4、ψ5-6、ψ7-8、ψ9-10、ψ11-12、ψ13-14というように、奇数系が先手を打ちながら7段階の構成を持って働いているのですが、人間の意識では、この構成の関係がψ2-1、ψ4-3、ψ6-5、ψ8-7、ψ10-9、ψ12-11、ψ14-13というように、偶数系先手で働いているんです。この偶数系先手の観察子の発展性の全体が人間の意識に自我というものをもたらしてくると、とりあえずは考えておいて下さい。つまり、宇宙全体のエネルギーの流れを逆方向にスピンさせているところに人間という存在が見出されるということです。OCOT情報は人間の意識を形作っているこの転倒次元のことを「潜在化の次元」と呼んだりもします。精神が潜在化している状態、という意味です。

偶数系の観察子はシリウス言語でいう「中和」の働きを持っています。中和というのは今までのヌース本でも書いたように、精神が持った二つの方向性(自己側の精神と他者側の精神)が相殺されてプラスマイナスゼロ状態にある、といったような意味です。こうした中和を引き起こすもとになっているのが「中和」とは逆の方向性を持つ「等化」という作用です。等化とは大まかに言えば、精神が持った二つの方向性を統合する働きのことです。両者の対称性を能動的に作り出す働きのことを言います。その意味で言えば、「中和」は「等化されたもの」という言い方もできます。「等化」が能動的な力で奇数系、「中和」が受動的な力で偶数系と覚えておくといいでしょう。

さっきも言ったように、人間の意識は偶数系が先行して働いているために、等化側の力の連鎖、つまり精神の力の流れが全く見えていません。精神の働きが無意識化しているということです。人間というのは中和の世界に生かされている存在だということですね。ですから、人間が物質世界と呼んでいるものは実はプラス方向の精神全体とマイナス方向の精神の全体性が等化されているところに生まれているゼロ状態=「無」の世界だと言えます。そこには精神の力はないという意味での「無」です。物質を存在させている力は精神なので、僕らがこの精神の力の存在抜きで物質を見てしまえば、それは「無」でしかなくなります。でも、僕らは誰もこの世界を無だとは思っていませんよね。この世界が多様な物質で満たされた世界だと思っている。それが問題なんです。本質が何もないところに勝手に物質を妄想している。OCOT情報は、このように人間が外部に概念化している物質世界のことを「有機体の妄映」と言っています。仏教でいうマーヤー(幻影)ですね。物質は人間の妄想だということ。科学的世界観なんかは完全にこの妄想に完全に取り憑かれています。科学は物質が物質自身の力で成り立っていると思っているでしょ。人間という意識する存在がいなくても宇宙が存在すると思っている。唯物論的世界観なわけですから。でも、物質は今言ったように精神の影なんです。精神に付帯している存在にすぎない。精神がなくなればそんなものは跡形もなく消えてしまいます。何度でも言っておきますが、時空という場所には、実は何もないんです。このからくり、分かりますか?

今はまだ皆さんには「半田、何言ってんの?」って感じられるかもしれません(笑)。しかし、観察子の概念が理解できてくると、そのことが手を取るように分かってきます。時空には本当に何もない。そのことが新しい知覚のもとではっきりと分かってきます。ある意味、恐ろしくなりますよ。僕らはみんな、「無」を「有」だと勘違いしているわけですから。OCOTは、最終構成(1999年)以降、すでに精神自体が方向性を反転させていると言います。もしこれがほんとうなら、赤の偶数系観察子を先手として進んでいる現在の人間の意識の方向性を反転させないと大変なことになるかもしれません。なんせ、元となる青の観察子が方向性を変えているわけですから。このまま今までと同じように物質意識の中に浸っていると、人間の意識は自らの存在基盤である精神との連結を断たれ、虚無の中に沈んでいくかもしれません。今が、ほんと、瀬戸際です。

人間の意識の方向性に反転が起こると、人間の無意識として活動していた本来の観察子の流れ、つまり、精神の世界が認識に立ち上がってきます。これが、ヌーソロジーが「顕在化」と呼んでいる出来事です。OCOTのいう「覚醒」です。ヌーソロジーが行おうと考えているとりあえずの作業は、人間におけるこの次元観察子ψ1~ψ14の転倒をすべて反転させて顕在化を起こさせることです。この作業に従事する者が、ヌーソロジーが「変換人」と呼んでいる存在です。トランスフォーマーですね。

そして、このψ1~ψ14までの観察子の認識が多くの変換人たちに共有されるようになり、その認識の方が人間の現在の空間認識よりも優位になると、変換人の意識は「ヒト」という人間の上位にある次元領域へと入っていくことになります。まぁ、これがヌーソロジー的な意味でのアセンション(次元上昇)と言っていいでしょう。OCOT情報は、この出来事のことを「入神」と呼び、2037〜2039年にそれは確実化すると伝えてきています。

4. 観察子を説明するための3つの思考装置

さて、ヌーソロジーでは、この次元観察子をわたしたちの認識に浮上させるために、主に三つの思考装置を使用します。その一番目のものがこの「ケイブコンパス」という円盤儀です。『シリウス革命』で「タカヒマラ・テンプレート」と呼んでいたもののスーパー改良版と思っていただければいいでしょう。かなり、スタイリッシュでしょ。中身も俄然、進化していますよ(笑)。

このケイブコンパスは次元ψ、大系Ω、脈性Φといった観察子の区別を問わず、さきほどご紹介した1〜14までの観察子がどのような関係で構成されているか一目で確認できるように構成されています。観察子の構造というのはすべてホロニックなんですね。だから、構造性は次元観察子ψも、大系観察子Ωも、脈性観察子Φも、すべて同じです。ただ、次元の大きさが違う。図表の方にもあるように、それぞれ次元観察子ψは変換人、大系観察子Ωはヒト、脈性観察子Φは真実の人間というように、それぞれの意識次元の違いを表すものとなります。

Cave Compass 改良版

図1-8 Cave Compass

今回のレクチャーシリーズでは、このケイブコンパス上で示される観察子の運動を理解しやすくするために、アニメーションにしてきました。ちょっと見てみましょう。こんな感じです。これは一応、次元観察子ψにおける観察子の運動だと思って下さい。

ごくごく個人的な趣味でナインインチネイルズっぽいサウンドをつけました。ヘヴィでいいよねぇ(笑)。
さて、このケイブコンパスだけど、どういう構造になっているかというと、青色の流れの方が先ほど言った奇数系の観察子の発展だと思って下さい。赤色の流れが偶数系です。このアニメーションは顕在化の次元を表示したものなので、青色の奇数系側を先行させています。

アニメーションを見ていたらすぐにわかってくることですが、このケイブコンパス内部は180度ずつの周回で、大きく4つの領域に分けることができます。まず、青色と赤色が半分ずつ、180度進んだところ、これが次元観察子のψ7とψ8の関係を表します。そして、そこから、お互いがお互いを交差して流れを二重化します。この二重化するところがψ9〜ψ10の領域です。そして、ψ9〜ψ10までの構成が終わると、今度はその構造の全体性を反転させて、また半分ずつ進みます。ここで外側のリングで表している部分が反転させた領域に相当すると思って下さい。そして、そこからまた互いの流れが交差を起こします。そこがψ11〜12の領域です。結果的に、このケイブコンパスは青の奇数系の流れも、赤の偶数系の流れもともに2回転して元のスタート位置に戻ってくるような構成になっていると思っていただければいいです。そう見ると、次のψ13〜14では、今度はψ11〜12の関係性が捻られて、青色と赤色の関係を逆転させていくことになります。これは実は他者側のψ*11〜12の領域に当たります。これは、ψ13〜14において、自己側と他者側の観察子の流れが等化されることを意味します。

ですから、少なくとも、ψ11〜12までの領域の中では、180度で元止揚の形成、360度で調整質の形成、そして、540度で反対側の元止揚の形成、720度で反対側の調整質の形成、というように、観察子は4段階のプロセスを持っているわけですね。非常にシンプルでしょ。これらの流れの構造が持つ意味については、レクチャーの中でそのつど具体的に説明していきますので、今はここに示した観察子の流動性の雰囲気だけを図式的につかんでおいてもらえればOKです。

Cave Compassの四つの位相

図1-9 Cave Compassの四つの位相

続いて、2番目の思考装置が『人類が神を見る日』や『シリウス革命』でもご紹介した「ヌースコンストラクション」です。略して「NC(エヌシー)」と言います。この「NC」は実際の知覚空間上に次元観察子ψ1〜8までのカタチを抽出していくためのガイドとして用います。『人類が神を見る日』では、このNCをぐるぐると回転させたものを「シユレディンガー・ルーレット」と呼びましたね。NCの回転を素粒子の回転に対応させました。実際、このモデルは人間の空間認識の在り方と素粒子の構造を対応させて見るのにとても優れたモデルになっています。詳細は次シリーズの応用編で解説していこうと思っています。

ヌースコンストラクション

図1-10 ヌースコンストラクション

そして、3番目が「ヘキサチューブル」です。ヘキサチューブルというのは「6角形の管」といったような意味です。たまに「シリウスの回廊」とも呼んだりしています。次元観察子の概念が意識にインプットされていくと、空間が4次元(正確には複素2次元の空間)の多重構造になっているように見えてきます。そして、この構造を4次元方向から見るとヘキサグラム(六茫星)のフラクタル構造のように見えてくるんですね。六茫星の枠で作られた廊下のような通路に見えてくる。ヘキサグラムというのはOCOT情報によればシリウス次元(ヒトの意識世界)の象徴です。普通、ヘキサグラムは2次元の平面図形のように思われていますが、OCOT情報に拠れば、4次元から見た3次元空間のことを表現したものなんです。3次元空間の3本の直交軸X,Y,Zを斜め45度方向から見ると、ちょうど「水」の字形のように見えますよね。そのとき視線が存在している方向性が4次元のルートです。光の中と言ってもいいかもしれない。

以前、『人類が神を見る日』にも書きましたが、ヌーソロジーの考え方では、4次元空間というのは人間が世界を観察している空間のことなんです。OCOT情報はこの4次元のルートのことを「意識が通る道」とも言います。次元観察子の構造は、この4次元空間がベースとなって、ユークリッド的には5次元、6次元、7次元、8次元、というように構成されていきます。ただし、ヌーソロジーの場合、僕らが数学で習ったユークリッド次元の考え方のように、次元が増えるごとに直交する軸の数が増えていくという考え方はしません。それは誤った次元の考え方だとOCOTは言います。僕も今はその意味がよく分かります。人間は空間を客観的にしか見ていないんですよね。空間をあたかも対象のようにしか見ていない。空間に自分たちの精神が浸透しているとは考えていない。それが、人間が空間を正しく把握できない原因になっています。4次元以上の空間を考える場合には、見ている自分自身を空間の中に組み込まないと、おそらく何の意味も持ちません。数学者たちが単に「はい、これが高次元空間のトポロジーです」というように構造を対象化して見せたとしても、その実質は空っぽで何一つ本質が理解されていないということです。

ヘキサチューブル

図1-11 ヘキサチューブル

いずれ、わたしたちの意識は、このヘキサチューブルを通して素粒子の世界を覗いていくことになると思います。そして、この観察子のフラクタル性から想像する限り、そこから原子や分子、さらにはそこを超えて、DNAや細胞の世界へと進んでいくことになるでしょう。つまりは、物質を単なる物質ではなく、自らの精神の脈動として探査していく作業へと入っていくわけですね。物質を外側からではなく、内側から見るんです。そして、そこに新しい知性を立ち上げていく。その知性が獲得できた暁には、わたしたちはもう今までの人間ではなく、創造者へと生まれ変わることができます。反転の創造空間が人類の前に開示してくるということです。ということで、1コマ目の話はこのへんで。

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