第1回東京ヌースレクチャー2013 vol.1 「創造空間の時代へ」

2コマ目前半 クレーの「新しい天使」

─── 目次 ───

  1. クレーの「新しい天使」
  2. ベンヤミンと「新しい天使」
  3. 9.11
  4. 時は金なり
  5. 3.11
  6. 日本民族とは金である

1. クレーの「新しい天使」

では、2コマ目の話に入りましょう。1コマ目はヌーソロジーのガイダンス的な話でした。ここからが2013レクチャー内容の正式なスタートとなります。出足のタイトルをどうしようか少し迷ったのですが、やっぱり、ここはヌーソロジーらしく格調高く行こう(笑)、ということで、「新しい天使」というタイトルにしました。そこで、今日は一枚の版画絵を持ってきました。この版画絵をご存知の方、いらっしゃいますか?。

新しい天使

図2-1 新しい天使(パウル・クレー作)

これはパウル・クレーの「新しい天使」という作品です。クレーは20世紀初頭から中期にかけて活躍したスイスの画家です。美術理論家もやっていました。バウハウスという有名な美術学校でカンジンスキーなんかと一緒に教鞭をとったりもしていますね。神秘主義にも造詣が深く、絵画理論家としてもとても深い見識を持っていました。クレーの墓には、彼が生前日記に記した次のような言葉が墓碑銘として刻んであるそうです。

「私はこの世ではとらえられない。何故なら私は、未だ生まれざるものたちのもとに、そしてまた死せる者たちのもとに住んでいるからだ」

ちょっと分かりにくい文章ですが、ここに来ていらっしゃる皆さんなら、何となく意味が分かりますよね。クレーには自分が見えないものの世界、霊的な世界に住んでいるという自覚があったんですね、そして、クレーにとって、そこは芸術の力の源泉が息づく空間でもあった。芸術家として一歩でも深くその空間の奥に侵入し、その感覚を絵画で表現したかった。そういう想いがこの言葉の一節からは伝わってきます。また、彼は次のような有名な言葉も遺しています。それは「絵画とは目に見えないものを目に見えるようにする」というものです。

絵画とは目に見えないもの見えるようにする。

画家は静物画を描くにしろ、風景画を描くにしろ、単にその場の情景を描写しているのではなく、その情景とともにそこに立ち現れている画家自身の内在性を描いているわけですね。そして、この画家の内在性自身は決して目に見えるものではない。クレーはそうやって、感性的な見える世界と芸術の衝動の源泉に潜むこの見えない霊性とのあいだで二重化して生きている自分を強く意識していました。そして、芸術家とは本来その二重性を強く意識して生きている者たちのことを言うのだと強く感じていたのではないかと思います。

2. ベンヤミンと「新しい天使」

さて、このクレーが所属していたバウハウスですが、1933年以降、あのナチスが台頭してきて、閉校に追い込まれます。あの時代、前衛的な活動を行っていた芸術家、思想家に対して、ナチスは徹底的に弾圧を加え、片っ端から潰していくんですが、バウハウスも例外ではありませんでした。クレーはその直前にバウハウスを辞めているのですが、やはりナチスに目をつけられます。それで、自分の母国であるスイスへと戻っていきます。

ファシズムの風が吹き荒れていたこうした時代のなかで、クレーが描いたこの『新しい天使』を手にする一人の思想家がいます。聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。それがベンヤミンです。ベンヤミンという人は当時、文芸評論を初めとして、その他いろいろな文筆活動を行っていた思想家です。

ヴァルター・ベンヤミン(1802-1940)
ドイツの文芸評論家。哲学者、翻訳家、社会学者、文化社会学者として史的唯物論とユダヤ的神秘主義を結びつけた。(ウィキペディアより抜粋して引用))

ベンヤミンは、このクレーの版画絵を自らの思考のよすがとしてトランクの中に忍ばせながら戦火のヨーロッパを放浪し、さまよい歩きます。不運なことに、ベンヤミンはユダヤ人だったんですね。そのためにナチスの執拗な迫害に遭い、逃亡生活を余儀なくされていくわけですが、いろいろな場所を転々としたあげく、スペインに逃亡を企てる途中、入国を拒否され、最後は大量のモルヒネを飲んで自殺してしまいます。そして、彼の遺品となったトランクの中からこのクレーの一枚の版画絵が発見されるんです。ナチスの追っ手が迫る中、ベンヤミンは『新しい天使』と名づけられたこの作品を見て何を想い巡らしていたのでしょう。ベンヤミン自身が生前、この作品について、素晴らしい文章を書いていますので、ちょっと紹介したいと思います。

「新しい天使」にあてた、ベンヤミンの言葉

詩的なイメージに溢れた文章ですよね。ベンヤミンという人の背景を知って読むと、何だか涙が出そうになります。ひょっとすると、彼は死の直前まで、このクレーの『新しい天使』を見つめていたのかもしれません。

天使が天から人間の歴史を覗いていて、人間があまりにも愚かなことをして次々に破壊を行っていくものだから、何とか地上に舞い降りて、その破壊された残骸を片付けたいと思っているわけですね。ところが、地上から轟々とものすごい風が吹きつけて、その風に翼が煽られ、降りようと思っても押し流されて自由がきかない。この吹きつけてくる強風のイメージが、ベンヤミンにとっては時間、つまり人間の歴史だったんだろうと思います。時間が前から吹きつけてきて、その時間とともにわたしたちは後ろへと流されていく。この情景、イメージできますか? もちろん、ベンヤミンはこの感覚を詩的な直観の中に捉えたのでしょうが、現代科学の時空イメージでも、まさに時間は同じかたちで流れていると言うことができます。

現在、物理学者たちは遠くの場所を「過去」と考えています。アインシュタインの相対性理論が出てきてから、時間と空間はもはや区別ができないものとなり、空間的な「遠さ」は時間的には過去と見なされるようになりました。つまり、百万光年先に見える銀河は百万年前の姿なんですね。これは、前に見える奥行き方向から時間が流れてきているのと同じ意味です。遠くは過去。ここは現在、そして、後ろは未来。そういったかたちで時間の風が轟々と吹いている。そして、この風圧に圧倒され、わたしたち人間はつねに未来の方へとなす術もなく押し流されていっている。でも、ベンヤミンの感性の中では、天使たちが、この時間の風に逆らって、人間の世界に降りたがっていると感じていたんですね。何とか舞い降りて、人間の文明が作り出すこの残骸の山――歴史の中で繰り返されていく愚かしい破壊行為をなんとかして食い止めたいと思っている。でも、時間の風が正面からあまりにも強く吹きつけてくるものだから、降りたくても降りることができない。そういうイメージです。

3. 9.11

さぁ、そこで、次の写真を見てみましょう。みなさんもよく覚えていますよね?――ニューヨーク同時多発テロ。2001年の9月11日に起こった出来事です。

ニューヨーク同時多発テロ事件

図2-2 ニューヨーク同時多発テロ事件

この事件に関しては、その後、イルミナティの陰謀だとか、いろいろなことが囁かれていますが、ヌーソロジーはこうした陰謀論にはあえて触れません。そのへんの詮索はみなさんでご自由にやって下さい。ただ、この出来事以降、世界は大きく変わりました。つくづく実感します。本当に大きく変わった。90年代からその兆候はあったのだけど、この事件以降、あからさまに、帝国的な横暴が目立つようになりました。もちろん、ここでいう帝国というのは、ローマ帝国とか、ナチス第三帝国とか、大日本帝国などといった昔の帝国とはまったく違ったものです。ネグリ=ハートの言葉を借りるなら、この帝国は「単一の支配論理のもとに統合された一連の国家的、かつ超国家的な組織体から成る」何ものかです。あえてアメリカとは言いませんよ。日本だってこの帝国の一部にすでに組み込まれている部分だってあるでしょうから。この《帝国》は、従来の資本主義の在り方をどんどん変えていってますね。まぁ、よく言われる「産業資本主義」から「金融資本主義」へってやつですが。この中に、銀行や保険屋さんや証券会社の方はいらっしゃるのかな? いらっしゃったら、先に謝っておきますが、僕の祖父は「銀行屋と保険屋と証券屋は人のふんどしで相撲を取る世の中の寄生虫だ」って、いつも言ってました(笑)。早い話、今の世の中というのは、自分では何も生産しない連中がお金をざっくりと儲ける仕組みになっているということですね。実際に汗を流して労働している人たちは虐げられている。ニューヨークのテロ事件が起きてからというもの、その傾向に一層拍車がかかっていますよね。アメリカや日本など文明が進んだ国ほど貧富の差が大きくなるという、奇妙な事態が進行している。まぁ、こうやって話している最中でも、兜町の株式市場では電光掲示板の数字がカチャカチャと目まぐるしく動いている。

東京証券取引所

図2-3 東京証券取引所

皆さんは、市場を動かしている原動力って何だと思いますか?当然、株式市場では、製造業や販売業、サービス業など様々な会社の株式が売買されていっているわけですが、元を正せば、こうした株式を一番奥で底支えしているのは、僕なんかは人間の情念だと思うんですよね。だから、証券取引所は実は「情念の取引所」としてある。つまりは、情念の中にわき起こる欲望の力が経済を流動させ、資本主義の体制を作り上げているということです。でも、今やこの情念の流動が動かす数字の変化は人間の頭脳ではコントロール不能です。ITテクノロジーもものすごいスピードで進化していて、すべての取引がコンピュータによって一括管理されている時代です。この中でデイトレーダーの方もいるかもしれませんが、もう人間の頭では追いつけない速度で数字は動いています。極端な話、1秒の判断の遅れで、全財産を失ってしまうことだってあり得る。そんな時代ですよね。

4. 時は金なり

さっき「新しい天使」の話をしました。舞い降りようとする天使たちの翼に時間の風が吹きつけている。でも、その風があまりに強いために天使はこの地上に降りることができない。ひょっとすると、この時間と資本主義の運動というのは深い関係にあるのではありませんか?僕が思うに「時間」は資本主義の原動力です。なぜなら、時間は利子を生みますよね。時間とともに増殖していく。だけど、なぜ、お金は放っておくだけで増えるのでしょう?実際、ベンジャミン・フランクリンなんかは「Time is Money——時は金(かね)なり」とまで言っている。

たぶん、貨幣と時間は宇宙的と言っていいほどの深いレベルで密接なつながりを持っていると思います。貨幣を中心にしたわたしたちの交換経済は、やはり天使の降臨を阻害している一つの要素になっているのかもしれません。その意味では貨幣とは夢を紡ぐものではなく、むしろ、夢の死骸です。経済学者たちは固定資本や流動資本など、資本をいろいろな種類に分類しますが、一番重要な資本を見落としているんですよね。それは「夢」でしょ。人間が見る夢。この夢こそが資本の本質であって、夢が無ければ文明も都市もへったくれもない。わたしたちが身体を通して世界を作りかえてきたのも夢あればこそです。しかし、今の世界は、夢の力がすべて貨幣へと置き換えられていってる。これが問題なんですね。皆さんも、お金さえあれば何でもできると思ったことはないですか?お金さえあればどんな夢でも叶うと思っている人たちがいるとすれば、実はその夢はもう死んでいる。違いますか? だから貨幣とは夢の死骸なんです。貨幣を時間、夢を霊と言い換えてもいいですよ。わたしたちが時間と呼んでいるものとは、実は、わたしたち人間の霊の死骸なんです。

今、私たちは物の価値を貨幣に置き換えて交換しています。でも、よく考えてみると、価格がついたものに価値なんてありませんよ。だって、いくらお金を積まれても絶対に売りたくないものってあるでしょ?――自分の命とか、子供とか、旦那さんとか。いや、旦那さんは売り払ってもいいか(笑)。こういったものには本来、価格はつけられない。ほんとうの価値というのは、そうした破格の法外なものの中に生まれている。逆に言えば、お金で買える価値なんてほんとは重要じゃないんですよ。だって、お金で買えるわけですから。お金では買えないものの中に潜んでいる価値のほうが重要なんです。そして、そこにベンヤミンのいう天使が生きている。だから、この地上が貨幣で支配されている限り、天使は降りてくることはできません。時間と貨幣は結託して、人間世界と天使世界を結合させないように、強固な壁を作っている。

資本というのは、英語ではcapital、資本主義はcapitalismと言いますよね。このcapitalのcapには頭に被る帽子のcapから想像できるように、「先端」や「先っぽ」の意味があります。例えば、capital cityと言えば、「首都」のことですよね。船のcaptainは「船長」ですよね。あと、「岬」cape、これも先っぽのイメージです。植物の「おしべ」とかもcapと呼ばれるように、このcapは生殖や性愛に関わっています。ですから、資本主義もまた性愛の産物としてイメージすることができます。資本主義は強力なエロスによって動いているということです。このエロスがどんどん時代とともに劣化していき、今や人間のほとんどの営みの価値を貨幣に換算して、すべての空間を占拠してしまった感があります。

空間だけじゃありません。時間にしてもそうです。皆さん、生命保険に入っていますよね?恥ずかしながら、僕も入っています(笑)。生命保険って何かといえば、要するに、未来の安心をお金で買うということです。これは未来さえも投機の対象となって買い占められていることと同じです。元々資本主義というのは、空間的に隔てられた異なる文化圏同士の差異が価値を生み、その価値の交換によって始まったと言われています。今や資本主義は、空間だけではなく、時間的な差異さえも乗り越え、空間と時間のすべてを領土化しようとしているわけですね。ローンなんかその典型じゃないですか。一度、家なんぞ買おうもんなら、その人の未来はもう地獄です。その人生はもう差し押さえられている(笑)。すごいですよね。資本主義の貪欲さって。空間も時間も全部を貪り尽くして、人間の生を完全に占拠して、身動きを取れなくする。まさに人間を食らって生きている怪物と言っていいと思います。

5. 3.11

そして、こうしたグローバリズム経済の台頭のなかで、2年前に、日本ではこういう事件が起こりました。

福島第一原子力発電所の事故

図2-4 福島第一原子力発電所の事故

3月11日の昼過ぎだったよね?――あの日、ちょうど僕は佐藤さん(ヌースアカデメイア・ナビゲーター)とスカイプで電磁場についての意見交換をしていたんですよね。そのとき、スタッフの亘利君が「社長、地震です!でかいです」と慌てふためいた様子で二階に上がってきました。驚いて、すぐさまネットを見ました。そうすると、ちょうど自衛隊のヘリが東北の太平洋沿岸の映像を映し出しているところで、ものすごく大きな津波が海岸線に向かって進んでいました――こりゃ、ただごとじゃないな、とすぐに分かりました。津波はそのまま海岸に押し寄せて、防風林や防波堤を越え、市街地へと流れ込み、家屋をなぎ倒し、田んぼや畑を呑み込み、ものすごい風景が展開されていました。すると、今度は福島の第一発電所の方がどうやら大変なことになっているらしいというニュースが飛び込んできて、ネットの中継は発電所の方の映像に切り替わりました。あのときの異様な状況を、みなさん、思い出して下さい。僕は九州にいたからまだ悠長に構えられていましたが、東京のみなさんには鮮烈な記憶として残っているはずです。僕はマジで日本が終わるんじゃないかと思いましたよ。天皇陛下までテレビに出てこられて国民を励ますという異例の事態でした。余震もひっきりなしで、もう世界の終末のような空気を漂わせていた。

正直に言うと、実は僕はこのとき全身が虚脱するような恐怖感を感じていたんです。でも、それは地震や放射能汚染に対してではありませんよ。何かもっと抽象的な恐怖です。というのも、1990年頃にOCOT情報が「2013年になる直前にある大きな出来事が起こる」と伝えてきていたからです。OCOTは未来の予言めいたものはほとんどしません。いつも観念的な情報を送ってくるだけで、具体的に世の中で何が起こるかなどいった情報はないんです。だからOCOTが「2013年になる直前にあることが起こる」というからには、これはよほどのことなのだろうとずっと思っていました。そして、てっきり、それは2012年あたりに起こるのだろうと決めつけていたんですね。でも、地震のニュースを知り、続いて原発事故のニュースを聞いたとき、すぐにOCOTのいう〈ある大きな出来事〉っていうのはこのことだと直感しました。だから、これはただじゃすまない、これから世界は大変なことになる、って、一人で慌てふためいていたわけです。でも、不幸中の幸いというのか、そのとき僕が想像していたような事態にまでは今のところはまだ至ってはいません。でも、僕はこの震災とフクシマでの出来事がOCOTのいう「ある大きな出来事」だったに間違いないと今でも感じています。そして、OCOTは、この「ある大きな出来事」と2013年以降の日本との関係について、いくつかの情報をくれました。もちろん、それらが真実かどうかはわかりませんが、「時期が来たのだろうな」と感じて、最近の講演でも、この話をし始めています。ただし、この話はあまりにも怪しさ満載なので(笑)、今の段階では、あくまでも壮大な寓話として聞いておいて下さい。いずれ、OCOT情報がどのようなロジックでこのようなことを語っているのか、皆さんにもその輪郭がはっきりと見えてくると思います。

6. 日本民族とは金である

前もって言っておきます。まず、僕は右翼ではありません。ですから、これから話すことも国家主義とか民族主義とかいったイデオロギー的な立ち位置での話ではない、と思ってください。もっと深い話です。もっともっと深い話です。科学的常識に囚われている人たちにとっては何とも胡散臭い話に聞こえるかもしれません。拒絶反応も出るでしょう。でも、自分の直観の中でとても大事なことのように感じているので、誤解を恐れずに敢えてお話しておきます。

実は、OCOT情報というのは日本民族の存在をとても重要視します。これは確か『シリウス革命』にも書いたと思いますが、日本民族というのは地球上に出現した最初の民族だと言うのです。いや、日本民族と言うより「日本語の精神」と言ったほうがいいかな。日本語の中に宿っている霊力のことです。OCOT情報によれば、さっきも言ったように精神と物質は表裏一体の関係にあるとされます。ですから、精神の力は必ず、この地上世界の中の物質性としても反映されている、という話になっています。で、この原初の精神としての日本語の精神が何として反映されているかというと、OCOTはそれを「金」だと言うんですね。日本民族とは金だと。金(カネ)じゃありませんよ(笑)。金(きん)です。ゴールド=Goldです。

金という金属は古代からずっと物質の王様とされている存在ですよね。ツタンカーメンのマスクなどからもわかるように、太古の昔からホモサピエンスは金に魅せられていました。現代でも事情は変わっていませんよね。金本位制こそ今ではなくなりましたが、実質的には、金は今でも世界の貨幣の価値を大本で保証している物質に変わりはありません。物質の交換価値の大本の指標になっているのが金だということは、金が物質的価値をある意味、一身に背負っているからだ、という言い方もできます。もし物質世界全体が精神全体の射影だとするなら、金を生み出している精神とは、霊的力の中枢とも考えられるということです。

最初に出現した精神とは金の精神である。

最初、この情報を受け取ったときは、僕自身、かなり混乱しました。金が崇高な精神の射影だというのは何となくムードとしては分かるにしても、なぜ金が最初なのか?それが理解できなかったからです。金は今の科学では原子番号79番にあたる元素です。決して1番ではありません。もし金の精神が最初に現れたのなら、物質としての金はなぜ原子番号1番になっていないのか。そういう素朴な疑問が湧き出てきますよね。しかし、OCOTはそんな疑問など全く重要ではないかのように、金が最初の精神であると断言してくるんですね。それどころか、逆に金がなぜ最初の精神とされるのか、その理由について考えろ、といわんばかりの雰囲気を漂わせさえするのです。

原子番号79番である金が最初に生み出された元素とされるその理由。このイメージが浮かんでくるまでにはかなりの時間を要しました。そして、1コマ目でお話しした次元観察子という概念の構造変動の仕組みがおおよそ見えてきたときに、なぜOCOTが「金が最初の精神である」というのか、その意味がやっと分かりました。今、一言でこの理由を説明するのはとても難しいので控えます。このことを理解するためには、今、わたしたちが思い描いている現代科学の元素生成のイメージを一度、頭から追い払わなくてはいけません。わたしたちは、学校で、恒星の中で起こっている核融合が、それこそ何億年という気の遠くなるような年月をかけて様々な元素を作り出してきたのだと習いました。物理現象面からの見方としては、それはそれで一貫性をもった考え方なので何の問題もないと思いますが、OCOT情報では、恒星自体が持っている意味合いが、現代科学のそれとは全く違うんですね。恒星は単なる物質なんかではないのです。ズバリ、OCOTは、恒星とは太陽を卒業した霊的力の反映だと言います。つまり、伝統的な神秘主義が語るように、恒星は、地上の物質的意識から解放され、エーテル界やアストラル界にまで達している霊力の投影のようなものだと言うのです。

「太陽から卒業した」というのは、人間の意識進化の意味です。OCOT情報では太陽とは「人間の精神核」とされていて、それは人間の自我を裏支えしている無意識の構造体とされます。だから、当然、人間の意識が進化へと向かうときは、太陽自体も自分の殻を脱ぎ捨てて、次のフェイズ(局面)へと進化を持つのです。この意識進化は人間の個人それぞれに個別に起こるものではありません。人類全体に働きかけてくる力になります。『人類が神を見る日』では、こうした進化が今まで6度起こってきて、現在、第七太陽系次元と呼ばれるものを構成しているのだ、と書いたと思います。実を言うと、元素世界の生成はこの太陽系次元の進化と直結しています。言い換えれば、太陽系の進化の度に元素も進化を遂げていったというのです。その意味で、太陽を人間の精神核だとすれば、恒星は人間の上位の意識次元を支えている精神核のようなものに当たります。詳しい話は素粒子のヌーソロジー的な意味合いなどを押さえた上で、いずれ、レクチャーでしていこうと思います。

さて、一方、現在の人間の文明のスタイルを決定づけている精神に対応する金属というのもあります。OCOT情報はそれを「鉄」と呼びます。「鉄」は原子番号26番に当たります。そして、この「鉄」にも、ある民族の精神性が対応していると言うのです。何民族だと思いますか?ちょっとできすぎで、「えっ?」という感じなのですが、それがユダヤ民族だと言うんです。びっくりでしょ(笑)。「金」が日本民族で、「鉄」がユダヤ民族。日本民族が日本語の精神を意味するのなら、OCOTのいうユダヤ民族とはヘブライ語の精神を意味するのでしょうか。現段階ではそのへんの真の意味合いはまだよく分かりません。

「鉄」という文字が「金を失う」と書くように、OCOT情報によれば、ユダヤ民族と日本民族は精神進化を抑止する力と精神進化を推進する力の対比にあると言います。つまり、正反対の特質を持っているということです。まぁ、ユダヤ民族と一口に言っても、現在では、アシュケナジーとかスファラディーとかいろいろ分類されていますよね。だから、OCOTが何を指してユダヤ民族と言っているのかは不明なのですが、とにかく、OCOTは「ユダヤ民族の精神とは鉄として反映されており、今の人間の〈カクシツ〉を構成している」と言うのです。〈カクシツ〉というシリウス言語には、一応、今のところ、「核となる質」という意味で、「核質」という漢字を当てています。

ユダヤ民族とは今の人間の核質である。

「核質」というのは一言で言えば、人類の意識を成長させていく、その核となる力、といったような意味です。この「核質」は今のわたしたちの3次元認識を作っている本質力として働いていると言っていいでしょう。つまり、この今の物質文明の大元を占めている思考様式のベーシックとでも言おうか、僕が本の中で「人間型ゲシュタルト」と呼んだもののことです。OCOTはこの力が同時に現在の人間の自我を作っている力になっているとも言っています。つまり、人類の物質意識の発達=自我意識の確立という等式があるわけです。ですから、OCOTのいうことをまともに信じるならば、今の地球の文明の歴史はユダヤの精神性を軸として発展してきた、ということになります。実際、西洋はユダヤ教から分かれたキリスト教の世界観を中心に文化を作り上げてきたわけですし、イエス自身もユダヤ人だったわけだから、西洋文明の根底にユダヤ的精神が根深く入り込んでいる、と考えることは、それほど的外れなことでもありません。あと、ユダヤ民族の出自は遡れば、古代シュメ-ル人にたどり着きます。人類最初の文明を築いた民族ですよね。OCOTによれば、シュメールとは「人間への方向を持った力」です。

鉄は、精神の働きとしては、「次元の中和」という働きを持っています。次元の中和とは精神の方向性をプラスマイナスゼロで相殺して、進化の方向性を意識に見えなくさせる、といったような意味です。簡単に言えば、私たちが今持っている物質意識と考えて下さい。物質を宇宙の本質的な力だと考えてしまう意識。唯物論的意識と言ってもいいでしょう。これが鉄の精神が持った働きです。鉄は人類に自我をもたらす力であると同時に、その限界点を作るものだということです。ですから、鉄の精神に支配されている限り、物質意識も自我意識も、決してそこから出ることはできません。OCOT情報では、この行き詰まった鉄の精神の力に新しい進化のトリガーを与えるのが金の精神が持った役割だと言っています。それは金が「原初の精神」だからこそ持ちうる能力だと言うのです。タイム・イズ・マネーで支配されたこの資本主義の果てることのない欲望を物質的なものから霊的なものへと方向転換させる力。それが金の精神だということです。そして、その金の力がわたしたち日本人の精神の中に眠っていると。

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