第1回東京ヌースレクチャー2013 vol.1 「創造空間の時代へ」

3コマ目後半 シリウスファイルにおけるNOOSとNOS

─── 目次 ───

  1. シリウスファイルにおけるNOOSとNOS
  2. 自我とケイブユニバースの関係について
  3. 女媧と伏義
  4. 時間のない世界
  5. 調整期と覚醒期

1. シリウスファイルにおけるNOOSとNOS

このNOOSとNOSという概念はヌーソロジーを学んでいくにあたってとても大事な概念なので、今度は、実際にOCOT情報が、これらNOOSとNOSについてどういう情報を送ってきたのか、シリウスファィルの原文でそのまま紹介しておきますね。OCOT情報というのは出てくる用語だけではなく、言葉の使い方自体もほんと異質なので、高次元の知性体というものがほんとうに存在しているのではないかとついつい思いたくなってしまうような代物です(笑)。

NOOSとNOS

図3-4  NOOSとNOS

どうですか?異質、かつ難解、かつ意味不明ですよね。これだけでは何を言っているのかさっぱり分からない(笑)。僕も最初はそうでした。でも心配いりません。ヌーソロジーを学んで行くと、いずれ、ここに書かれているテキストの意味もスラスラと分かるようになります。ここでは、順に簡単な解説をしておきましょう。

[1]「NOOSは等化として作り出されいくすべての力」  「NOSは中和として作り出されいくすべての力」

このへんは、もういいですかね。NOOSとNOSは観察子につけられた序数では奇数系と偶数系の関係にあります。次元観察子についての解説は次回のレクチャーから詳しくやっていきますが、例えば、次元観察子ψ3という精神の働きが出てきたら、このψ3は反対側に次元観察子ψ*3(他者側のψ3という意味です)を見ますが、ψ3にとって、ψ*3は観察するものではなく、観察されるものとして現れてくるので、それは偶数系のψ4として捉えられてくるということです。ψ3とψ*3の関係は、とりあえずは自己と他者それぞれにとっての「一つのモノに対する観察」と考えるといいでしょう(下図参照のこと)。自己にとっての「見ること=奥行き」は他者には「見られること=幅」として現れますよね。つまり、ψ3は他者にとってはψ*4として把握されるということです。ですから、ψ3とψ4は自他の間の捻れの関係の中に潜む「見ること」と「見られること」の関係に対応しているわけです。そして、ψ3とψ4を等化すると、今度は次の精神の働きである次元観察子ψ5とその反映物である次元観察子ψ6が形成されるような仕組みになっています。このような能動と受動の対称性を拡張されていく弁証法的な発展が、奇数系を先手として運動していくことで、観察子構造は奇数系と偶数系、双方の精神の力の流れを自他双方から双対的に形成していく仕組みを作っています。詳しくは次回のレクチャーから解説していきます。

ψ3~4、ψ*3~4の空間的配置

図3-5  ψ3~4、ψ*3~4の空間的配置

[2]「次元が働きの方向を変える」

ここでOCOTが「次元」と呼んでいるものは、文字通り“次元”観察子が働いている領域のことと思っていいです。人間の無意識構造が作り出されている場所のことだね。今までの人間の意識では「次元」は偶数系の観察子が先手で活動をしていました。それを奇数系観察子が先手を打つ活動に反転させる。それが「次元が働きの方向を変える」ということの意味です。ヌーソロジーが今からやろうとしていることだね。現在、人間の認識は中和側の力、つまり、見られることの認識を先手に持って意識を働かせています。この人間の意識の流れ(「人間の意識の内面」といいます)は、最終的に次元観察子ψ12〜11(偶数系が先手であることに注意!!)で自我意識を完成させ、ψ14〜13という領域で自他の意識の方向性を一体化させています。このψ14〜13の領域は、心理学的な意識発達の段階から言えば、自我が十分に成熟したあとにやってくるもの、つまり、僕たちが死後の世界と呼んでいる意識領域と考えるといいと思います。死後の空間の中では自他の意識は一体になっているとOCOT情報は言うんだよね。人間の意識構造が持ったこのへんのダイナミズムは、このレクチャーシリーズの中で詳しく話していくことになると思うけど、人間の意識はある一定の期間(調整期と呼ばれています)を経過すると、「ヒト」と呼ばれる人間の上次元に位置する意識の力が、このψ14〜13の回路に捻れを作り出して、意識の流動を他者側のψ*1〜2側へと接続させてくる。それによって、今までψ14〜13のシステムの中で先手を取っていた偶数系観察子が後手側へとまわり、今度は奇数系観察子が先手を取る能動的な意識次元が生み出されてくる。これが人間の無意識の「顕在化」と呼ばれる出来事なんだよね。顕在化が起こると、人間は受動的な意識から能動的な意識へと意識を反転させていくことになる。このへんの仕組みはまた4コマ目でもう少し解像度を上げて解説しようと思います。

[3]「止核精神を拡散させる」

「止核精神」とは人間の意識を「核質」に止めさせている精神といったような意味。核質というのは、人間に3次元の空間認識を与えている力のことだと考えておくといいです。人間の無意識としての精神領域には人間の意識を3次元の中にしっかりとつなぎ止めておこうとする能動力が働いているわけだね。「核質とは唯物論的意識を形作っている核となる力のこと」と覚えておいてもいいかもしれない。カタチとしては正八面体のイデアに相当します。僕らは3次元というと、どうしても正六面体(立方体)を連想しがちなんだけど、3次元認識を支えているのは正八面体のカタチなんだよね。いずれ分かってくると思うけど、この核質の力は次元観察子ψ11の前半部分で活動している。NOOSによって人間の無意識の顕在化が起こると、この核質は拡散(核散?)します。つまり、3次元認識や物質概念が解体するということだね。この拡散のカタチが実は正六面体のイデアになっていて、正六面体のイデアとは人間の意識に4次元認識をもたらすためのカタチだとOCOT情報は伝えてきています。そして、この正六面体のカタチが人間の意識進化のトリガーとなっていく。

正八面体と正六面体のイデア

図3-6  正八面体と正六面体のイデア

[4]「表相の対化を顕在化させる」

これもちょっと難しいね。「表相」というのは、レクチャーでもいつも言ってきたんだけど、「一つの対象の見え」を作っている空間の次元のことを言います。僕ら人間に対象は常にある一つの側面しか見せないよね。その見え姿を形作っている空間のことです。少しでも対象を回転させれば、表相の次元は対象の別の像をそこに見せるでしょ。この表相という次元は言うなれば、無意識の構造においては最小の次元と言ってもいい。でも、いずれ分かってくるけど、この表相は実は最大の次元にもなってくるんだよね。このへんは事の次第が分かってくるとほんとビックリしてしまうところなんだけど、要は、無意識ってのは表相に始まり、表相で終わる、ってこと。この最小としての表相から最大としての表相に至るまでのプロセスがすべて見えたら、無意識の顕在化はすべて終了。人間の意識はヒトという存在の意識に生まれ変わります。OCOTの話じゃ、2039年までにそうなるって言ってる。ホントかね(笑)

表相の対化

図3-7  表相の対化

「表相の対化を発現させる」というのは、簡単に言うと、さっき言った、時空に投げ込まれて同一性の中にまどろんでいた自他が両者の分離を互いに自覚するときの次元なんだよね。自分という存在が見えているものと相対的な関係で生まれているのだと気づいたとき「表相は覚醒を起こした」と考えていいです。顕在化が始まるときの意識の位置だと思ってください。実はNOOSの力は、表相において自他の意識を2つの方向へと分離しています。もちろん、人間は客観的な3次元空間の中で対象を認識しているので、こうした分離を無意識で経験してはいても、思考ではまだはっきりと把握できていないんだよね。NOOSの目覚めは自他が認識している空間の相互反転性を見破り、自己が見ている世界と他者が見ている世界の相互反転性を認識し始める。つまり、奇数系の観察子が先手となっている空間が意識に浮上してくるということ。自他双方にNOOSが顕在化すると、「顕在化の対化」が生まれ、自己と他者が互いに互いが知覚している空間を表と裏の関係として空間を思考するようになってくるのね。だから、「あなたから見た表と裏」、「私から見た表と裏」というような形で、空間は四値的な論理で概念化されるようになってきます。

四値

四値というのが分かりにくければ、太極図のイメージでもいいかなぁ。陰と陽という単なる二元性ではなくて、陰の中の陽と、陽の中の陰、という関係で自他の関係を捉え始めるということ。それがOCOTのいう「対化の顕在化」という意味です。

太極図

図3-8  太極図

現在の人間の意識は時空という同一性の中にはまりこんでいるので、どうしても主体と客体の二元性で物を考えてしまう。だけど、私が見ている世界と、あなたが見ている世界の関係が互いに反転していることが分かってくると、空間は自然に観測者を含んだものとして、四値的に思考されはじめてくる。別にヌーソロジーが無理やりそうさせるというわけではなくて、論理的必然性としてそうじゃないとおかしいという認識になってくるということ。ただ、僕らは今、3次元空間という外在世界の中にスッポリと収まったところで世界を概念化しているから、それがまだわからないんだね。でも、僕らが実際に物を見ている空間においては、自己が見ている空間と他者が見ている空間は鏡映反転の関係になっている。これはどういうことかというと、物質的な肉体の位置は3次元空間の中で他者と入れ替えることができても、そこで起こっている知覚は入れ替えることができないってことなの。ユークリッド的にいえば、ここには4次元が関わってる。このへんのことについての話は次回に回しましょう(この4次元はいずれ複素2次元空間として登場してきます)。

では、NOSの方の説明に移りましょう。

[5]「表相」を見つめさせているもの

さきほどいった「表相」を人間の意識に作り出すためには、人間の観察位置を空間の一点に定め、対象に対する志向性を持つ必要があります。このとき働いているのがNOSだね。ここにも書いてあるように、NOSは「表相を見つめさせるもの」として働いている。分かりやすく言うと、対象の手前に観察者としての主体という概念をセットしている力と考えるといいです。僕らが「対象の手前に」といった途端に、そこには一本のユークリッド的な線分が想定されているのがわかるよね。その線分がNOSなの。さっきの言い方をするなら、「幅」が入っちゃってる。NOSは観測者と対象を分離する線分の力として空間に介入しているということ。この空間力が表相を対象として見つめさせています。

NOSと主客分離

図3-9  NOSと主客分離

[6]NOSは意識進化自体には交差を行えない

OCOT情報に拠れば、人間の意識進化において進化していくのは表相に生み出される精神です。NOSは表相をあくまで対象として志向する力しか持ってなくて、表相自体の中に入っていくことはできません。要はNOSというのは人間の認識が主客一体となる方向性を阻止している力として働いているということだね。人間の意識進化は主客一致の認識が生まれるところから芽吹いていくのだけど、その力はNOOSにしかなく、NOSには無理なの。NOSは常に受動的な力であるということを忘れないで下さい。ただし、ここにも書いてあるように、NOSは人間の創造活動や自我を生み出すためには必要なものです。当然だよね。人間はこの表相の次元に生み出されている「表象」を自らの意識活動の基盤におき、かつ、対象の手前に存在する物質的身体としての肉体に自らの存在の基盤を置いているのだから、当然です。だから、逆に言えば、人間の意識進化が始まると、人間の意識は表象から離れて、同時に表象を保証していた肉体からも解き放たれていくことになります。

[7]力の抽出を操作するもの

ここでいう「力の抽出」とは、NOSがNOOSに触れて、そこから精神の力を感じ取るといったような意味です。人間においては、それは知覚の働きとして現れていると思って下さい。NOSは今も言ったように、人間の意識に表象を作り出し、この表象を通じて精神に触れ、精神から力を得ています。次に出てくると思うけど、それは「人間の感性」において行われています。

[8]NOSが下次元の交差を行い、NOOSが上次元の交差を行う

ここでいう上次元と下次元とは、とりあえずは他者世界と自己世界と考えるといいです。他者世界が上次元で、自己世界が下次元になります。NOOSは自己側に潜在化している無意識のルートを通って他者世界への交差を行い、人間の意識に客観性をもたらしているのね。一方、NOSは客観性から自己世界側への交差を行い、人間の意識に主観性をもたらしている。この関係を次元観察子の方位を示したケイブコンパスで位置関係として示しておきますね。次元観察子ψ9の思形とψ10の感性の関係がまさにここで言っている内容に相当します。

ケイブコンパスで見る主観性と客観性の位置

図3-10  ケイブコンパスで見る主観性と客観性の位置

[9]NOOSの逆性が物質(人間の内面の意識)で、NOSの逆性が意識(人間の外面の意識)

さっきも言ったと思うけど、人間の意識に認識されている物質とはすべてNOOSが生み出しているものです。OCOTが言っている「逆性」とは「逆方向に生み出されるものに見えている自分自身の在り方」といったような意味です。ですから、NOOSの逆性とは「NOSに見えるNOOSの在り方」、NOSの逆性とは「NOOSに見えるNOSの在り方」といったような意味になる。物質とは下降してきた力に見えている上昇してきた力、意識とは上昇してきた力に見える下降してきた力、ということなの。これらのイメージがつかめない人はもう一度ケイブユニバースの図を参照されるといいと思います。

[10]NOOSとNOSを等化するときに生み出されるものが有機体ノウス

ここでいうNOOSとNOSの等化とは人間の意識進化が起こる局面のことを指して言っています。さきほど、話した、自己側のψ14〜13がψ*1〜2に凝縮して捻れを作り出してくる部分です。次元が固定化しているときは、ψ14〜13はそのままψ2〜1に凝縮して意識の反復ルートを形成しているのだけど、人間の意識が次元調整とともに成長してきて最終構成を迎えると、ψ14〜13からψ2〜1へと凝縮化していた力の流れが。ψ*1〜2へと方向を変える。これによって、顕在化が生み出され、NOSはNOOS*へと、NOOSはNOS*へと交替化を起こします。このとき新しく生み出されてくるNOOS*(他者側からの交替化においてはNOOS)のことをシリウスでは特別に「有機体ノウス」と呼んでいるようだね。有機体ノウスとは有機体が意識進化を形作るために生み出す新しいNOOSのことです。

[11]NOSとは有機体

有機体とはOCOT情報では「カタチを持たない精神」として定義されます。NOSはNOOSとNOOS*が等化を行ったときに、両者の力の相殺として、つまり中和されたものとして生じている力のことだと考えるといいと思う。中和側は何度も説明してきたように、プラスマイナスゼロの力だから、精神の力を持っていない。OCOT情報がいう「カタチ」とは幾何学が持っているイデアとしての力のこと。中和状態ではいかなるカタチ=イデアも生まれることはないということだね。有機体の本質は元素としては原子番号6番の炭素Cに当たります。「5」を相殺する精神が「6」なの。

2. 自我とケイブユニバースの関係について

さて、次に、現在の人間の自我意識とこのケイブユニバースがどのような関係にあるのかについて簡単なイメージを作っておきましょう。まず、ケイブユニバースというのは、宇宙における物質の全体性を創造している巨大な生成回路のようなものと思って下さい。自我意識はこのケイブユニバースにおけるNOOSの総体とNOSの総体が衝突するところに生じています(より正確にはNOOS*とNOS*を含めた双対構造になっていますが煩雑さを避けるために省略します)。ちょうど、フィギュアスケートのペア競技なんかで男性と女性のスケーターが逆方向から滑って来て、中央でぶつかり合ったときに腕を組み合うと、互いにグルグルと回転しちゃうよね。それと同じイメージ。NOOSとNOSの流れが互いに回り込むような形で円環を作り、そこで旋回運動しているようなイメージを描くといいかな。ケイブユニバースの円環のイメージを書き加えると、おおよそ下の図のような感じになります。

ケイブユニバースにおける最小回路と最大回路

図3-11  ケイブユニバースにおける最小回路と最大回路

ケイブユニバースに対してちょうど入れ子状に共鳴するように、内側に小さなケイブユニバースもどきが出来ているのが分かりますよね。これをケイブユニバース本体の「最大回路」に対してとりあえずは「最小回路」と呼んでおきましょう。人間の意識は中和側ですから、偶数系の次元観察子が先手で運動して、自我意識を構成しながらこの最小回路の中でグルグルと旋回しながら停留していると考えて下さい。そして、この最小回路の円環運動を固定させるために働いている力が、さきほど話した「核質」という力なんだよね。この最小回路は宗教的に言えば、ユダヤ的な一神との契約の結び目と言って構いません。だから、人間という意識存在は文字通り、古代の宇宙論が言うように大宇宙(マクロコズム)に照応させられた小宇宙(ミクロコズム)として生きているわけです。この最大回路と最小回路の関係は真言密教で言えば、金剛界曼荼羅の世界と胎蔵界曼荼羅の世界の関係と言ってよいものだし、また、インド哲学で言えば、ブラフマンの世界とアートマンの世界に当たると考えても構わないと思う。ヌーソロジーでは脈性観察子Φ13〜14と次元観察子ψ14〜13の関係に当たるね。それで、「人間の最終構成」によって何が始まるかというと、今まで人間の意識の流動を先導していた核質が解体されちゃうわけだから、最小回路の結び目の中を循環(輪廻)していた無意識の流動が、この結び目を自らほどいて、新しく最大回路を組み替える運動へと入っていくというストーリーになっているの。これが人間の意識進化に当たると考えるといいです。この組み替えが終了すると、新生した最大回路は、新たな最小回路の結び目を作り、次なる次元の人間の自我回路を活動させるという仕組みになっている。ケイブユニバースはそういった刷新運動を繰り返しながら、自らの多様性を展開する悠久の無限運動を行っているんだね。ロゴスは常に自らの無限運動を切り開き、無限が無限を開いていくような壮大な運動を行っているってこと。

ヌーソロジーが今年の2013レクチャーで解説していくのは、まずは、この最小回路の具体的な内部構造の方になると思います。最小回路が先ほどご紹介した、次元観察子ψが受け持っている世界と考えてもらえば結構です。最大回路の方は大系観察子Ωや、脈性観察子Φの領域なので、2013レクチャーの中では登場してこない、っていうか、まだ僕もよく見えていない(笑)。これらの観察子については、次元観察子についての理解がある程度できた後、来年の2014シリーズ以降、少しずつ説明していく予定です。

3. 女媧と伏義

さて、このNOOSとNOSという宇宙を司る陰陽のエネルギーと言っていい力の流れだけど、とても重要な概念なので、イメージをクリアにするためにもう少し補足しておきましょう。ここにおられる皆さんはすでに察しがついていると思うのだけど、このNOOSとNOSは古代密議のシンボルではこういうものとして表されています。

女媧と伏義、カドゥケウス

図3-12  女媧と伏義    カドゥケウス

両方の図ともヌーソロジストにとってはおなじみだよね。左側が女媧と伏義。右側がカドゥケウス(ヘルメスの杖)です。女媧と伏義は古代中国の代表的な男女神と言っていいものだね――古代エジプトでいえばイシスとオシリス、古代日本で言えば、イザナギとイザナミのような関係でしょうか――お互いに旋回しながら、絡み合って上昇して行く。面白い象徴図ですよね。女媧の方は右手にコンパスを持っています。一方、伏義の方は左手に直角定規を持っている。これはフリーメイソンと同じですね。フリーメイソンのシンボルマークもコンパスと直角定規です。

さて、女媧と伏義が手にしているこのコンパスと三角定規、これは一体何を意味しているのでしょうか?どなたかご意見はありませんか?なぜ女媧はコンパスを持って、伏義は直角定規を持っているのでしょう?ヌーソロジーに長く携わっている人たちはもうわかるんじゃないかな?(笑)

(――定質と性質です、と答える人を受けて、)トレビアン!! その通りですね(笑)。定質と性質というのは次元観察子や大系観察子などそれぞれの観察子別に使われるNOOSの全体性とNOSの全体性を意味するシリウス言語です。ヌーソロジーでは直角定規が定質の力を象徴化したもので、コンパスが性質の力を象徴化したものに当たるのではないかと考えてる。

なぜコンパスと直角定規なのか、というと、これらは意識の次元上昇の仕組みを幾何学的にイメージしたときの象徴と考えるといいと思う。無意識はどんな次元も回転で成り立っています。たとえば、人間がモノ一つ認識するにも、そこには無意識的な回転があるのね。「回転は等化の本質」というのがOCOT情報です。つまり、回転は精神が持った力の時空間的表現になっているということ。回転が起こると、そこに、当然、回転軸も立ち上がるよね。軸は当然、回転を作る平面に対して垂直に直立してきます。これも一つの次元上昇の力の表現です。しかし、この軸が立ち上がる方向には二つの方向があります。回転が逆方向ならば、そこに現れる軸の向きも逆になる。物理学で言うなら右巻きと左巻きのスピンのようなものだね。スピンは必ず双対で現れる。それがさっき言った「+1」の精神と「−1」の精神の方向性の意味だと考えるといいです。この+1と−1が統合されると、回転の方向性も統合され、一方で軸が見えていない意識の方は回転面の場所で取り残されちゃう。つまり、等化と中和の関係性が軸の直交性と回転面の関係として現れるということなんだね。これら両者の関係性が伏義と女媧が持った直角定規とコンパスの意味だと思って下さい。直角定規が定質の力です。一方、コンパスが性質の力です。回転は軸から見れば、軸自体のバランスを調整する力になっているとも言えます。バランスが完全化すると軸は回転面に対して直立し、そこに上位の次元との連結を作り出していきます。直交性とはその意味で次元上昇の力になっている。

こっち側(の図)は、皆さんおなじみのカドゥケウスですね。二匹の上昇するヘビ。これはもう説明には及ばないでしょう。西洋の神秘主義の中で生命力の重要なシンボルとなっているものです。女媧と伏義と全く同じ意味を持っていると考えていいと思います。

カドゥケウス
ギリシア神話の伝令の神ヘルメースが持つ杖のこと。頭にはヘルメースの翼が飾られ、柄には2匹のヘビが巻きついている。(ウィキペディアより抜粋して引用)

4. 時間のない世界

さて、ヌーソロジーの考え方では今説明したようなNOOSとNOSという二つの力の流れで世界が生まれていると考えるのだけど、現代科学はそういう考え方は全くしていませんね。さっきから話しているように、時空という広がりの中で、偶然の積み重ねによって物質が進化してきたと考えている。

生命誕生から人類登場まで

図3-13  生命誕生から人類登場まで

宇宙の始まりにビッグバンやインフレーションとともに様々な素粒子が生まれて、宇宙の晴れわたりが起き、そこから原子が登場してきて、原子が重力で寄り集まって恒星をつくる。そして、それら星々の中で起こる核融合反応によってどんどん重い元素が作り出され、その反応が鉄まで進むと大爆発を起こして星の一生を終える。そして、その繰り返しの中で生命が誕生するような環境の惑星が現れ、そこからDNAが合成されて、単細胞生物から微生物へと進化し、そして周囲の環境に適合するような進化をたどって人間になった。これが、僕らが学校で習った知識だよね。確かに、これは物質の面だけから見るなら正しい推論と言えるかもしれない。だけど、さっきも言ったように、物質の世界は付帯質であり、無為質なの。物質自体には力はないんだよね。単なる物質ではそこに生成力は生じないってこと。本質は世界内部空間側でうごめいている精神がやっているんです。ここはシュタイナーみたいに、一思いに「霊」と言いたいところだけど、「霊」という言葉に抵抗がある人もいるだろうから、一応、「精神」と言っておきましょう(笑)。だから、今の科学的世界観のように137億年前にビッグバンが起こって、物質の積み重なる偶然的な進化の末に人間が生まれた、というようなビジョンは妄想だと考えなくてはいけないよ。はっきり言ってトンデモ。ここは生命の本源力としての霊性を守るヌーソロジストの立場として、あえてハッキリと断言しておかなくてはいけないところです。OCOT情報から判断すれば、むしろ、世界に満ちあふれているこの物質の多様性はこの時間と空間の出現とともに一気に生じた、というのが真実ではないかと思う。その意味で言えば、ヌーソロジーはキリスト教的な世界観になっちゃうかもしれないね。キリスト教ではこの世界は一気に現れたとしていますよね。ユダヤの神秘主義のカバラなんかも、神的空間の中で霊的な創造が行われ、それが一気にこの世界の中で物質として表現されたと教えてる。

カバラ
ユダヤ教の伝統に基づいた創造論。終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。独特の宇宙観から密教との類似性を指摘されることがある。(ウィキペディアより抜粋して引用)

キリスト教の創造論では、神による世界の創造を紀元前4000年くらいと算定していた時代もありました。バチカンがこの説を現在でも公式なものとしているかどうかは知りませんが、キリスト教の原理主義者たちはビッグバンは当然のこと、進化論なんてものも、今でも全く信じてないと思いますよ。一昔前、アメリカのブッシュ元大統領が起こした騒ぎなんかもあったよね。ブッシュが、神が生物を作ったとする考え方(インテリジェント・デザイン論)を学校で教えることはいいことだって発言してしまった。実際、アメリカ国民の四分の一は未だに創造論を信じているとも言われています。日本だったら「え~っ」っていう話だよね。「宇宙はイザナギとイザナミのまぐあいで生まれた」なんて真顔で言ったら、皆に馬鹿にされてしまうでしょ。多くの人たちがまだまだ学校で習ったことの方が正しいと思っているから。でも、ここまで科学的世界観を妄信している国は世界中探しても日本だけじゃないのかな、きっと。日本はそれだけ科学教育が進んでいると言えるけど、同時に、それだけ霊性が抹殺されているとも言える。僕から言わせてもらえば、ほんとうに悲劇です。皆さんも、この際、再確認しておきましょう。進化論は決して証明されたものではないし、また永遠に証明することもできないものだということ。ビッグバンなどといった物質的な大爆発は宇宙史で一度も起こったことはないし、人間はサルなんかから進化してきたんじゃない!! ヌーソロジーは断言します。このことを、しっかりと頭に入れておいて下さい。

ちょっと話が横道にそれちゃいましたが、このへんでNOOSとNOSについて、まとめておきましょう。(ケイブユニバースの図を見ながら、)等化を先手に持つNOOSの流れと中和を先手に持つNOSの流れがともにケイブユニバースの中を突き進んで行き、この時空Mで互いに正面でぶつかり合ったときに、そこに入れ子的な小さな円環構造が生まれ、そこでNOSはNOOS全体の霊的な生成場を物質として目撃し、逆に、NOOSはNOS全体の霊的な生成を人間の自我として経験する。そういう仕組みになっているわけです。

さて、あと10分くらいあるので、ここでちょっと質問の時間を取りましょうか。今まで話してきたことはヌーソロジーのベーシックな考え方なんだけれど、大体OKですか? 何か質問があったら、どうぞ遠慮なく。

Q. 昔「ウロボロスの蛇」ということを聞きましたが、そのウロボロスの蛇というのが、今で言う、その結び目のところと考えればよろしいでしょうか?
A. そうです。宇宙の始まりと終わりが繋がっているところです。

Q. あと(+1)+(-1)=0のところの「0」とは女性性のことであり、それは「無」という意味なんでしょうか?
A. はい、さっきも言ったように両方の精神を持ったがためにゼロとしてしか表現されない「無」のことです。万有の無と言っていいと思います。そこから新しい生命の力が発芽してくるような力の無限性の素地のようなものです。

他に質問はありますか? ここは根本的なところなんですが、どうでしょう? ご質問があったら……。

Q. わかりやすく考えると、NOOSが男性性で、NOSが女性性だと言っていいのですか?
A. いいと思います。女性の方は「私ってNOSなの?嫌だな」って思うかもしれないけれど(笑)、精神に新しい方向性を作り出すのはNOSの働きです。もちろん、ここにはNOOSとNOSどちらが先かという問題が出てきますが。これは非常に難しい問題ですね。鶏が先か卵が先かみたいな問題です。でも、OCOT情報を分析した限りでは、NOSの方が宇宙の本源力と言っていいのではないかと感じています。

NOSが本源力。

人間においては、女性が新しい命を産んでいきますよね。もちろん、そのきっかけは男性が作るんですが。生成、つまり、生産する力を持ったものは、女性性ですよね。男は自分の体の中に子という他者を宿すこともできないし、自分の肉体の中で生命を作り上げていくこともできません。だけど、女性というのはそれら双方の力を肉体の中に内在させています。OCOT情報では、人間のことを「妙性質」と呼ぶのですが、この妙性質というのは精神の相殺によって生まれているプラスマイナスゼロの世界のことです。この言葉が意味するところは、彼らにも人間の起源、宇宙の起源がわからない、ということなんだよね。というのも、彼らとて、この妙性質から芽吹いて進化し続けている力だろうと思われるから。存在における女性性とは人間存在のことであり、人間存在は妙性質というものに対応している。それくらい女性性=人間存在というのは深遠な力に満たされているということです。

妙性質

「妙性質」の「妙」から連想されるのは、仏教でいう妙法の妙、つまり「永遠」ということだよね。存在と生成のあいだを流転しゆく宇宙生命には実は始まりも終わりもないということ。宇宙はどのように始まったのかということを半ば強迫的に考えさせられてしまうのは、人間が付帯質を先手に持っているからかもしれないね。さっき、付帯質とは「無」のことだと言いましたよね? ライプニッツという哲学者は「なぜ、無ではなく世界が存在するのか」という根本的な問いを発しました。でも、この問いはたぶん意味を為していない。宇宙はただ「ある」んです。あり続けている。そこには始まりなんてものはない。仏教はそれを分かっている。こうした宇宙の在り方は例えば、僕が学んだ日蓮の仏教では「本有常住(ほんぬじょうじゅう)」とかいった言葉で表現されています。つまり、元のまま、ありのまま、繕わず、働かさず、ということです。ただ「ある」。カバラでいうなら、「神名YHWH(ヨッド・ヘー・ヴァヴ・ヘー)=在りて在るもの」とでもいうのでしょうか、〈在-不在〉という二元論的判断を超えて、ただ「ある」。そうとしか言い様がないような何ものかなんです。「ある」ということは、無=不在に対して肯定的な言いきりですから、こうした「絶対肯定」の精神が人間にはなかなか理解できない。人間って、必ず「無」から「有」が生まれるかのように考えてしまうでしょ。宇宙が何も無いところから始まったと思いたがるクセも、結局、人間が付帯質を先手に持って存在させられているからだと考えるといいと思います。人間の思考は、大方の場合、先に否定(ない)が来ちゃう。NOSが先手を打っちゃうんですね。でも、生成の思考はそれじゃダメなんです。最初に肯定=YESを持ってこなくちゃいけない。YESがあるから、その反映としてNOがあるのであって、最初に否定=NOがあって、その反映としてYESがあるわけじゃない。最初がもしNOなら、世界自体が存在しようがないでしょ。NO=否定なわけですから。だから、わたしたちは宇宙がこうして在ること、あり続けていることの、このYESが起こしている奇跡に、心から畏敬の念を持つことが重要だと思いますね。常に肯定的に生きること。これが宇宙と共に生きるということの真髄だと思います。

5. 調整期と覚醒期

じゃあ、時間があまりないので、次に進みますね。

さて、このNOOSとNOSですが、時間的な現れとして、NOOSは創造的時間を作り出し、NOSは被造物的時間を作り出すと考えて下さい。この両者が交替しながら、実は自然史というものは作られています。それがOCOT情報が伝えている時間論です。この仕組みについては『人類が神を見る日』に「次元の交替化のサイクル」として紹介しましたよね。例の6500年ごとに起こる調整期と覚醒期の入れ替わりのことです。この反復活動は宇宙精神の呼吸活動のようなものとしてイメージすればいいでしょう。本を読まれていない方もいらっしゃるでしょうから、再度、説明しておきますね。

調整期と覚醒期

図3-14  調整期と覚醒期

『人類が神を見る日』で紹介したのは、このような周期図でした。一周約26,000年のプラトン年の周期があって、これらが約6,500年ごとに四分割されている。それぞれ覚醒期6,500年→調整期6,500年→覚醒期6,500年→調整期6,500年、というように、時間自体の在り方が形式を変えている、という話だったと思います。時間は今の人間が考えるように一様に直線的に流れているわけではありません。僕らは未来に向かって、あたかも物差しをあてがうようにして、時間を一様なものとして直線的に捉えているわけだけど、そういう時間が幅を利かせているのは調整期だけだとOCOT情報は言います。覚醒期は全く違った時間の質を持ちます。そこでは僕らが普段経験している時計的な時間は意味を為しません。というのも、覚醒期というのは、そういった時間の流れを感じ取っている側の高次の持続的な意識が目を覚ますからです。そこには宇宙を再編成させていくときに動いている根源的時間と称してもいいような全く別の時間があります。本にも書いたけど、OCOT情報は、僕らが今見ているこの現象世界が「人間の意識として出現してきた」のは、今から約6,500年前の紀元前約4,500年頃だと言っています。「え~っ!?」みたいな話だよね?これについては、なかなか、信じられない、というのが正直なところかもしれない。僕も最初は、この意識体は何バカなこと言ってるんだと思いました(笑)。もちろん、世界が出現したといっても真っ暗闇だったところに、いきなりポン!と現れたのかというと、そうではないよ。おそらく徐々に、ちょうど赤ん坊が世界を徐々に知覚していくような感じで、人類の意識の眼前にゆっくりとあぶり出しのように現れてきたのだと思います。B.C.4500年といったら、ちょうどシュメール文明が現れた頃です。シュメール文明については未だ諸説があるのではっきりしたことはわかりませんが、おおよそ人間の文明が発現した頃と考えていいのではないかと思います。

シュメール
メソポタミア(現在のイラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、または、そこに興った最古である都市文明。(ウィキペディアより抜粋して引用)

この中にも古代文明に興味を持っておられる方もたくさんいらっしゃるでしょうが、古代文明というのはとても不思議なものに感じない?僕らが学校で習った四大文明にしても、いきなりこつ然と出現してきている。僕らが習った歴史の中では、猿から進化したネアンデルタール人とかクロマニョン人とかがいて、何か洞窟みたいなところに住んでいて、そこから、火の使用を覚え、縄張りの集団から徐々に部族集団へと成長し、云々…といったようなイメージがあるんだけど、四大文明というのは、ほぼ時期を同じくしていきなり出現してきているのね。そして、いずれも巨大な文明に成長していくまでの段階的発展の歴史的考証が不明瞭です。それこそ何かいきなりボン ! と出現してきたイメージが否めない。僕自身、古代史に詳しくないので何の説得力もないけど、実は4,500年以上前の世界には地上に「人間」はいなかったのではないかと思いますよ。いや、そもそも地上などといった認識も存在していないでしょ。OCOT情報から分析するとそう言わざるを得ない。今の人間は意識ではなく物質的世界を基盤に歴史を考えているから、人間の出現を地球環境や生物進化の延長の上でしか考えようとしない。そうではなく、人間の世界への登場を内在的な意識の面から考えないといけませんよ。ちょうど、生まれたばかりの赤ん坊にとって、世界が徐々に出現してくるように、宇宙は存在自身が持った意識形態の在り方の変化によって人間を、そして世界を出現させてくる。OCOTはそういうふうに伝えてきています。

OCOTに拠れば、紀元前4,500年以前の世界は「覚醒期」と呼ばれる全く別の次元、別の異空間世界だったと言うんだよね。そこには、いわゆる、今の現代人が所持しているような「人間の意識」は存在していません。まだ働いていないということなの。そのとき、存在は「ヒト」と呼ばれる高次元の意識形態を持っていたらしく、「ヒト」は、そこからさらに「真実の人間」と呼ばれるより高次の世界へと意識の方向を向けた。それによって、その「ヒト」と呼ばれる者たちの内部的な活動の一環として、人間の意識の働きが登場してきて、今のような物質の世界が人間の意識の前に現れたのだ、というようなことを言っています。だから、ヌーソロジーは超古代の世界を単なる物理的な直線上の時間における過去の中には見ません。超古代はOCOT言うところの「覚醒期」に関わっています。この覚醒期は物理学がイメージしているような水平的な時間上にはなく、垂直的な時間、根源的な時間と言ってもいいと思いますが、そういった別の時間の形態が支配している場所なのです。つまり、私たち人間の起源はサルなんかではなく、高次元の知性を持ったヒトという意識体にあるということです。最近は、地球人は外宇宙からやって来た異星人の子孫である、みたいな話がまことしやかに流布されているけど、OCOT情報はそんなレベルじゃありませんよ(笑)。人間は実は高次元知性体の進化と共に高次元世界から降り堕ちてきたような存在だということなんです。どちらかというと、神話や宗教の世界っぽい話だよね。

外宇宙からやってきた異星人と言えば、ゼカリア・シッチンのことも話しておかなくちゃいけないかな。この中にゼカリア・シッチンを知っている人はどのくらいいますか?アメリカのトンデモ業界ではかなり有名な人で、今のアメリカのニューエイジにもかなり大きな影響を与えている人物です。惑星ニビルの話とか聞いたことあるでしょ。その生みの親となっている人です。

ゼカリア・シッチン(1922-2010)
人類の起源に関して古代宇宙飛行士説書物の著者である。シッチンは、古代シュメールは、アヌンナキによって創造されたと主張している。(ウィキペディアより抜粋して引用)

シッチンのストーリーはこうです。太陽系内に3,600年という長い公転周期を持ったニビルという惑星があって、そのニビルから約45万年前にアヌンナキをリーダーとする地球外生命体たちがやってきた。彼らは金を採掘することが目的で、アフリカにその鉱脈を発見し、その労働力を確保するために、当時、地球上にいたホモ・エレクトスのような原人の遺伝子に自分たちの遺伝子を掛け合わせ、今の人間を生み出したというものです。シッチンはもちろん正規の科学者や歴史学者からはトンデモ扱いされていますが、なぜか、スピ系のあるジャンルの人たちには受けがいいんだよね。

ヌーソロジーの観点からシッチンをもし批判するとすれば、シッチンの話は現代の科学主義と古代の神話世界がグロテスクな形で混じり合った典型的なカテゴリーエラーの産物と言えると思います。アメリカには多いんだよね。こうした科学的世界観と神話的世界観をごちゃまぜにして考えるような人たちが。ほんと即物的で嫌になっちゃいます。UFOや宇宙人の存在と、精神世界的な内在性を結びつけるのはいいと思うんだけど、そこにどうしても現代科学の宇宙観を重ね合わせたがるんだよね。だから、話がいびつになっちゃう。こうした混乱したイマジネーションを何とか是正しないといけないと僕なんかは思っています。要はアヌンナキのような存在が今目の前に現れようと、彼の身体もまた原子や素粒子でできているのであれば、それら自体、人間の無意識構造の投影なんだから、人間の起源といったものは遺伝子操作とか云々のレベルの話じゃないよって、いうことなの。超古代というのはもっと別の方向に存在しているものなんだよね。我々の時間と空間に対する認識を超えた、より高次の世界認識の方向です。「地球外の天体から円盤に乗ってやってくる異星人」という20世紀が発明したエイリアンのイメージは、ダーウィンの進化論の落とし子のようなものだよ。結局のところ、地球に似た環境の星があれば、そこに人間のような高度な生命体が生まれてくる可能性がある、という考え方が生み出したものでしょ。ほんと馬鹿みたいです。こうした考え方は地球上の生命体であれ、たとえそれが他の星の生命体であれ、およそ生命が生命であることの本質を何一つ言い当ててはいない言説だと思っていいです。

あっ、もう一つ言っておかなくちゃいけないかな。ヌーソロジーにはシリウスとかオリオンとかプレアデスとか、スピ系の人たちがついつい飛びつきたくなるような言葉が出てきますが、結構多くの人が勘違いしているみたいで、この間もどこかで講演しているとき、「半田さんはシリウス人なんですよね?私もシリウスの出身なんです!ハグして下さい!」とかいう女性の方がいました。美しい女性だったので和やかに応対しましたが(笑)、こういう女性には「シリウス人についてもっと考えようね」とついつい説教をしたくなるよね(笑)。もっともこれは僕にも責任の一端があるかもしれない。シリウスやプレアデスやオリオンという言葉を、スピ系の人たちの気を引くために使っている部分がないと言えばウソになるんで。でも、それはスピ系の人たちにヌーソロジーを知ってもらって、もっと思考することの重要性を認識してもらいたいからなんだけどね。たとえば、オリオン・シリウス・プレアデスというOCOT情報が伝えてきたこの三位一体性は哲学の言葉でも表すことができます。でも、ヌーソロジーはあくまでもポップな思想を目指しているのでそれを表面に出すことはあえて避けています。変換人というものはポップじゃないとダメなの(笑)。これから新しく立ち上がってくる宇宙思想というのは、人間の知の歴史を呑み込んだ上でそれらを消化し、かつ、そこから解放されたものじゃないといけない。もう今までの専門化されたおカタイ表現ではダメなんです。だって、ちっとも魅力的じゃないでしょ。

「高次元の概念を多くの人に分かりやすく伝えていくこと」————実を言うと、これはOCOTの至上命令なんですよね(笑)。僕自身、ドゥルーズの哲学なんかも研究しているけど、ほんと言葉が難しいです。概念も非常に複雑で様々な哲学者たちの概念が絡み合っているものだから、それらをしっかりと表現するために様々な専門用語を駆使しなくちゃいけない。でも、それだと、結局は専門家だけにしか通じない話になっちゃう。たぶん哲学の言葉だけでヌーソロジーの話をしたら、次回のレクチャー参加者は10人を切りますよ(笑)。物理学の数式にしたってそう。専門的な知識は確かに重要なんだけども、それらは今の時代あまりに仔細になりすぎていますよね。OCOTは人間の学問が細分化し、言葉が難しくなっていくのは本質が言い当てられていないからだと言います。今まで難解かのように思われていた、そうした知の最先端に生まれてきている新しい構造概念を何か魅力的なものに加工しながら、ヌーソロジーの中で表現していくというのが変換人というものの知性のスタイルだと思っているんだよね。だから、できるだけPOPな表現でやらなくちゃいけないなという…、あれ?話、どこかで曲がっちゃったね?元に戻しましょう。

とにかく、覚醒期→調整期→覚醒期→調整期ということで、6,500年×4という形で、26,000年で一つの周期が閉じています。で、この26,000年の形が、こういう波のようなかたちで動いていると思って下さい。

ゾロアスター教の時間観

図3-15  ゾロアスター教の時間観

存在が霊的な意識で生きる時代→存在が物質的な意識で生きる時代→……という形でお互い振動するように波打っているわけです。これはゾロアスター教の世界観ですけどね。これは全くOCOT情報と一緒です。この脈動のメカニズムをより具体的に伝えてきているのがOCOT情報だと思って下さい。そのより大きな仕組みは次のようになっています。

8つの太陽系次元(フ・ナ・ブク・インターバルとの対応)

図3-16  8つの太陽系次元(フ・ナ・ブク・インターバルとの対応)

26,000年のプラトン周期がさらに四つ集まってできている構造があって、OCOTはこの構造体が自分自身の管轄であるかのようなことを言っていました。『人類が神を見る日』にも書いたように、これはシリウスでは「太陽系次元」と呼ばれています。OCOT情報では、この太陽系次元に今まで6回の「次元の交替化」があったと言います。次元の交替化は人間の意識の覚醒によって起こりますから、今まで、6回の覚醒期が存在したということです。そして、今回が7度目で、それによって第8太陽系次元が作られていく、というトンデモない話になっているのですが、その交替化のスタートがこの西暦「2013年」なんですね。この構造はほとんど古代マヤ人たちが「フ・ナ・ブク・インターバル」と呼んだものとそっくりですよね。ここで、大きな丸十字で示しているのが26,000年×4の「フ・ナ・ブク・インターバル」と考えてもよさそうです。「フ・ナ・ブク」というのは、マヤの言葉で「銀河中心」のことを意味します。OCOT情報でも7度の交替化によって生みだされたすべての精神の力は銀河の中心に回収されていくといったようなことを言っています。もっともOCOTは銀河中心のことを「力の超心点」と呼びますが、これは精神の力が精神を超えたところに入る位置、といったような意味合いです。マヤ人の世界観とオコツト情報は確実に繋がっていると僕なんかは感じています。

ここで3コマ目の話を終って、一回休憩を入れましょう。

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