8/26開催ヌースアトリウムレポ

まだ残暑が厳しい日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

先日開催されたヌースアトリウムでは、たくさんの方にお越しいただき誠にありがとうございました!
おかげさまで満員御礼です!

今回のヌースアトリウムはヒカルランドより出版されます『シュタイナー思想とヌーソロジー』の発売決定を記念して開催いたしました。

題して「ヌーソロジーがシュタイナー思想に見たもの」

シュタイナーとのコラボ講演や書籍を執筆で見えてきたことをお話してくださったのですが、例のとおり?、シュタイナーの言説とヌーソロジーの言説には相通じるものがあり、ヌーソロジーなりのシュタイナー読解ともいえる内容になりました。

共通部分を挙げると、たとえば...

  • 高次宇宙は、私たちのまわりの時空が裏返った形で存在している。
  • 高次宇宙は、私たちの目の前の微小空間に畳み込まれている。
  • 高次宇宙では時間が空間化している。

などなど。(配布資料より引用)

シュタイナー思想は膨大

シュタイナーは20世紀の知の巨人だと、ヌースアトリウムでおっしゃっていましたが、その歴史観から、カバーしているジャンルから、講演や書籍の量からして、とにかくシュタイナー思想は膨大なものなんだそうです。

ヌーソロジーがカバーできるのは、ほんの一部(膨大な歴史の中の現代という期間だけ)だということなのですが、そのほんの一部が現代に生きる私たちにとってはとても重要なところです。

キーワードは「エーテル界のキリスト」

第四ポストアトランティス文化期に初めて、キリスト存在は宇宙の高みから下って、肉体の中に現われました。現在の第五文化期に於いて、人間は知力を強化することによってエーテル的形姿を見ることができるように進化した人々が、1930年代から1940年代にかけて地上に現われます。(R.シュタイナー『仏陀からキリストへ』)

シュタイナーによると、イエス・キリストは物質界の肉体に降りてきたキリストで、今度はエーテル界におけるキリストを1930~1940年の人々は見出すだろうということのようです。

では本当にエーテル界のキリストは出現したのでしょうか?

それに「然り!」と答えるのがヌーソロジーの大胆なところです。

ヌーソロジーは「然り!」と答える。アーリマン的なものが客観世界に棲みつき、ルシファー的なものが主観世界に棲みつく存在だとすれば、キリスト的なものはその両者を調停しているのであるから、主観的なものとも客観的なものとも見分けがつきにくい、人類の目には奇々怪界なものとして映るだろう。確かに、そういう存在が20世紀になって一つだけ現れてきた。量子だ。ヌーソロジーは、その意味で、量子こそがエーテル界のキリストだと考える。(配布資料より引用)

このヌーソロジーの見解に、参加者の方はどのように思われたのでしょうか?あるいは今、記事をご覧の方はどのように思われるのでしょうか?

「なるほど」と納得された方もいれば、「どうしてそう言えるのか?」と疑問に思われたり、「ホントかよ」と驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。

あくまでもヌーソロジーからの見解なので、この答えが正しいかどうかは何ともいえませんが、もちろん根拠なしに言っていることではありません。

エーテル空間を彫塑する

シュタイナー研究者のジョージ・アダムスは「エーテル空間」について、幾何学的にアプローチしました。
またシュタイナーの「私たちは内包的なものを外延的に、外延的なものを内包的に体験することができなければなりません。」ということを重要視しています。

実は、ヌーソロジーは、この内容と外延の間の矛盾を(幾何学的な)空間認識において解消しようとしています。

そこに先程の量子が絡んでもくるのですが、ジョージ・アダムスが示唆するように「この原理を数学的に述べるなら、それはその具体的―霊的な背景をアストラルと呼ばれるものの内に持つ、謎に満ちた虚数(√-1)にかかわる原理です」ので、この虚数の謎を解かなければなりません。

ヌースアトリウムでは、いったい「内包的なものを外延的に、外延的なものを内包的に体験すること」がどういうことなのかを説明してくださいました。

シュタイナーの晩年からこの世を去るまでは、ちょうど、プランク、ボーア、ハイゼンベルグやシュレディンガーらによって量子論が確立されていった時代でした。ちなみにシュタイナーは電子を「堕落したエーテル体」ともいったそうです。

ヌーソロジーは量子の具体的な描像を、空間において彫塑しようとします。もしエーテルの正体が量子だとしたら、もしその描像を具体的に認識することができたら、私たちはエーテル界のキリストを目撃する?!のかもしれません。