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DNAの二本鎖が作り出す螺旋は、
二人の盲人に起源を持っている。
その名は自己と他者。
彼らは鏡像世界の中でほんとうの光を追い求め、
離れては結合し、また離れては結び合う。
下を覗いても上を覗いても、
そこには彼ら両者の無限に続く葛藤が螺旋として象徴されている。
その狭間で生成されてくもの。
それは新しい思考と感情。
両端で仄暗い燐光を明滅させながら、
DNAはこの螺旋運動の悪循環を断ち切ることを夢見て、
今日も情動の生成を続けている。

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単なる物質と命ある物質の境界となるもの―DNA。この二重螺旋の建築物は黄金比を内部にたらふく飲み込み、まるで双子のケツァルコアトルのように、生成空間の中で絶妙なペアダンスを演じている。DNAを構成している元素はH(水素)、C(炭素)、N(窒素)、O(酸素)、P(リン)。無数の有機物を作る材料として前の4元素は生体主要元素として至るところに散らばっている。問題は5番目の元素であるリンだ。なぜこんなところにリンが紛れ込んでいるのか―生命のナゾを解くヒントは、実はこのリンにあるのではないのかと僕は狙いをつけている。

リンは、英語ではファルファロス(phosphorus)。これは元来ギリシア語で「光を運ぶ者」という意味を持つと言われている。つまり、西洋では、リンはルシファー(同じくラテン語で「光を運ぶ者」の意がある)と全く同じ意味で呼ばれているということだ。それをあたかも証明するかのように、リンの原子番号はナンバー15(フィフティーン)である。タロットカードで15番が「悪魔」を意味するのは皆さんもよくご存知のことだろう。まことに奇妙な符合である。つまり、光を運ぶ者でありながら、同時に闇の堕天使でもあるもの、それがリンに秘められた神秘学的寓意なのだ。

DNAにセットされたリンと、リンが含み持つこの寓意から考えると、生物が生み出されて来た宇宙的背景には、当然のことながら闇の力が重要なキーを握っているということになる。創造神ヤハウエは創造の初日に「光あれ!!」と叫んだとされるが、神は生命を生み出すために、最初は光ではなく、まずは闇を創造したのではないのか。闇があるからこそ、そこに反動としての光が育ち、闇と光の戦闘状態が作り出され、生命の動的平衡運動としてのゆらぎが生み出された―生命の担い手となっているのはおそらく闇なのだ。

では、この存在論的な闇とは一体何を意味するのだろう。僕はそれは人間そのもの、つまり、言葉に支配された意識世界のことではないかと考えている。言葉の世界は見えない。それは闇の中にかろうじて秩序を保っている。僕らは他者から投げかけられる言葉によって事物を想像し、また自分が知覚している当の事物を、今度は言葉へと変換して他者へと送り返す。つまり、言葉の交換によって互いの世界イメージを共有し合っているのだ。「光を運ぶもの」とは、つまり言葉ではないのかということだ。言葉はその意味で自他の意識の結び目の間を縦横無尽に駆け回り、まさに存在の肉の内部の血流として、人間の意識のエネルギー代謝に深く関わっていると言える。面白いことに、実際の生物の生体内部においても、エネルギー代謝に重要な役割を果たしているのがリンが絡んだATP(アデノシン3リン酸)という物質なのである。ATPは実際、生化学者の間では“生体内のエネルギー通貨”とも呼ばれ、生体の維持には絶対不可欠な物質となっている。人間の無意識構造における言葉の流通が、そのままATPを通した人間の物理的生体内のエネルギー流通として射影されている、というのは、あまりにヘルメス主義的世界観に偏った物の見方だろうか。

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