Noosology
ヌーソロジーについて

Intoroduction

未知なる子供たち

未知なる子供たちを育てていくこと──これがヌースアカデメイアの作業目的である。
この目的の成就のためには「空間を見る」視力を養うことが必要だ。
空間はその不可視性のゆえに、長い間、僕らの思考の対象とはならなかった。
しかし、20世紀の哲学が存在者から存在へとその思考の歩みを進めたように、僕らは今、見る対象を物質(見えるもの)から空間(見えないもの)へと転換する時期にきている。

空間は精神の海だ。
無意識の場所とも呼べるこの海の中には神々たちの思考物が渦巻いている。
それを見るためには、僕ら自身が時の神トートとなって、時計の針を止めなければならない。
時間には歴史という神霊が取り憑いており、その歴史の中には幾多のゴーストたちが人間を食料として生息している。

思考を停止させる宗教。
言葉を劣化させる哲学。
知覚を麻痺させる科学。
そして、良心を殺戮する政治。

これら人間を人間たらしめてきたアンシャンレジームの檻から抜け出すためにも、僕らはこの「止まった時計」の名のもとに思考を光速度へと加速する必要があるのだ。
この永遠の相の名のもとに現れてくるもの。
それが新しいブレイン、新しいボディ、そして新しいソウルを持った未知なる子供たちである。

スピリチュアルでもマテリアルでもない何か全く別の世界へ。
デッドでもアライブでもない何か全く別の人生へ。
男でも女でもない何か全く別のセクシャリティーへ。
そして、君でも僕でもない何か全く別の主体へ――。
空間は待っている。
そんな未知なる子供たちの登場を。

text by Kohsen Handa

What's the Noosology?

ヌーソロジーとは何か?

ヌーソロジーって何なの?とよく訊かれる。一応、「noosology」と綴っているので、字義的に言えば、noos(ヌース)とlogyを組み合わせたものということになる。

noosとは古代ギリシアの哲学者たちが好んで使っていた言葉で「神的知性」の意味があり、logyは英語の接尾辞で「~学」や「~論」を意味する。だから、noos(o)logyとはおおよそ「神的知性に関する学」といったような意味になる(語感の響きをよくするために、間に「o」を入れている)。まぁ、ここまで、説明したとしても、「じゃぁ、神的知性って何?」という質問が飛んでくるに違いない。簡単に説明してみよう。

僕たち人間にとって、世界はまず"与えられる"ことによって存在している。人間はこの与えられた世界を感官を通して知覚し、そこから、ああでもない、こうでもないと、知性を働かせ、いろいろと思考する。その意味で、人間の知性は受動的なものだ。受動的なのだから、この知性は、モノや世界の仕組みがどうなっているのか──つまりHOW?という疑問に関しては事細かく考えることができるが、それらがなぜそのようになっているのか──つまりWHY?のそれに対しては何も考えることができない。受動的なのだから仕方がない。神的知性というのはそれとは全く逆のものと考えるといい。神が世界を創造するにあたって、そこにはおそらく何もない。

だから、神はそこから一つの思考を能動的な知性の名のもとにおいて発出させる。この思考は前もって対象を持たないので、思考自体が対象へと変身を遂げるしかない。そうやって、思考することがそのまま生成となり、その思考の身振りの連続性が世界を一つの生命として組織化していく。だから、この知性はすべてのWHYにも容易に答えることができる。神的知性なるヌースとはそういうものだと考えるといい。

ヌーソロジーはこのヌースの在り方を具体的に思考していく学である。別の言い方をすれば、物質の中に潜む精神の有り様を露にしていく「反転の存在知」と言ってもいいだろう。

text by Kohsen Handa

New Standard Concept

空間に見え隠れする精神

普段私たちに感覚される空間は、距離や座標で語られるような均質的な空間である。

その空間では、私やあなたという主体さえも、ほかのあらゆる物質と同様の客体として見做されているだろう。

しかし、ここから一歩踏み込んで空間に本来の主体を見出してみよう。

ヌースコンストラクション
ヘキサチューブル

そこで私たちは、これまでの無機質な空間とは全く異なった、精神の息づく空間を発見する。

その空間は、イデア的でシステマチックな構造体であると同時に、情動している精神である。

しかし、知性がこのような空間を把握するためには、それに対応する概念が必要となってくる。

このような新しい空間概念を、ヌーソロジーは提案していく。

Logic of the Noosology

20年かけて洗練されたロジック

私たちが新しい土地に向かう時は、その土地の地図を持ち歩いていくように、新しい空間を理解するにあたっては、その空間の見取り図となるようなものがあった方がいいに違いない。

観察子という概念で組み立てられた、ヌーソロジーの中でも根幹をなすロジックは、ちょうどそのような新しい空間の見取り図だと思ってもらうといいだろう。

※観察子というのは空間の区分を示す地図記号のようなもので、これを参考にして意識の位置を確認することができる。

ヌーソロジーのロジックとケイブコンパス

caveケイブ compassコンパス(上動画参照)は、ヌーソロジーのロジック(見取り図)をシンプルに視覚化したものである。ψプサイ1いちとかψ2と表記されているものが観察子(地図記号)である。

ケイブコンパスを使うことで、それぞれの空間の連続性や相互作用を視覚的に見て取ることができるようになっている。ヌーソロジーでは、科学、哲学、古代の神秘思想など、あらゆるジャンルの言説をこの構造を使って説明するので、それぞれの分野が、実は同じものを志向していたということ、同じものを全く別の角度から解明していたことがよく理解されてくることだろう。

Connection of Science & Philosophy

科学の物質的知性と哲学の精神的知性との結合を夢見て

ヌーソロジーは独自の空間概念とその裏付けとなるロジックをベースに展開している、というだけではなく、既存の優れた知識と概念との整合・親和することにも力が注がれてきた。既存の優れた知識と概念とは、ひとつは物質を精密に分析していくことで培われた科学知識であり、ひとつは存在や魂といった目に見ることのできないながらも確かにそこにあり、かつ働きをなしているものを丹念に考察し、創案されてきた哲学概念のことである。

プラトンが「洞窟の比喩」で示したように、物質が精神の影であるとするなら、物質を度外視して精神を語ることはできない。

それとは逆に、精神性を考慮しない物質のみでの価値判断は、人間の心を荒廃させていくだけであることも明確だろう。

だからこそ、精神を語ることと物質を語ることがイコールとなるような何かが必要だ。そしてその何かとは、おそらく空間概念にあるとみて、科学と哲学(そしてあらゆる知識体系)を抱擁していくことを、ヌーソロジーは夢見ているのである。


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