神々が去った世界の夜の乏しい時代は長い──ヘルダーリンがこう詩ってすでに二百年以上もの歳月が経つ。この間、テクノロジーは凄まじい発達を見せ、今では世界中の都市の夜は昼よりも眩しい。しかし、夜を知らない都市であればあるほどその街並は底なしに暗く、僕たちはまるでCGのような泣き顔や笑い顔を浮かべては、半ば機械的に自分の人生の意味を問う──ボクハナンノタメニウマレテキタノカ?
このお決まりのクリシェの背後には「恐れよ!」という脅迫と「楽しめ!」という命令とを絶えずプログラムする無意識のハードウェアが作動している。これをとりあえずはf-other-operation(父なる他者の作用)──と呼ぶことにしよう。ここでいう「f」とはfuction(関数)としての科学であり、force(権力)としての国家であり、fool(愚者)としての愛である。
なぜ科学が、国家が、そして愛が無意識のハードウェアなのか──それは、科学がますます数量的なものに変質し、国家がますます想像的なものへと成長し、他者の欲望を欲望する欲望が一段と均質化し、愛の喪失がより声高らかに謳い上げられるからである。これら三者の総意のもとに資本主義が発展してきたことをいまや思想はよく知っている。そして、この資本主義の運動が、それ自身、社会的現実に与える影響には一切関心を持たないということも思想はよく知っている。そして、いまや、この資本主義による利己的な舞踏が全階層にわたってシステマティックな匿名性の暴力として働いていることも思想はよく知っている。フクシマ以降のこの国の姿を見ればそれは一目瞭然だろう。しかし、思想は資本主義に内在するこの横暴に立ち向かう術を露ほども持たない。
思想はすでに死んでいる──だから、今こそ、僕たちは従来の思想を超えた新しい思想を語り始めなくてはならない。ここで待望されている新しい思想とは、歴史性から逃れ、科学性や宗教性からも逃れ、〈物質的‐精神的〉、〈歴史的‐永遠的〉、〈個別的‐普遍的〉といった二者択一を克服した思考によって打ち立てられる高次元の思想のことである。ヌースアカデメイアとはこのような新しい思想の可能性を信じ、その現実化を真摯に夢見る人々のための学園である──来たれ、トランスフォーマーたちよ。人間というアンシャンレジームを乗り越え、地上を銀河の星々で満たすのだ。
text by Kohsen Handa
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